『 因果応報 』とは、一般的に…
「善い行いをすれば、自分に良い事が返り、
悪い行いをすれば、悪い報いが返る」 と解釈されることが多く、
人の行為を倫理的に規定する教説として使われています。
一見すると、仏教思想にも近い感じがしますが、
私的な解釈では、仏教本来の「縁起」を基本に説く教義に、
そぐわない考えだと捉えています。
「因果応報」の一般的な解釈を否定する気はありませんが、
言葉の意味からすると… そこに期待感や希望を伴わなず、
また、道徳的な価値観も含まず、単に、行動と結果が繋がり、
必然として関連していることだと思っています。
例えば…
重そうな荷物を運んでいる人がいて、
助けてあげることが善い行いで、感謝されると思って、
荷物を持ってあげようとしたら、
絶対に他人に触れて欲しくない荷物だったり、
大切な荷物を持ち逃げされるのではないかと思ったり… で、
逆に、酷い目に遭ってしまうことも有り得ます。
例えば…
困っている友人の保証人になったために、
借金の苦しみを味わい、友人を恨む結果もあります。
そんな現実が、本来の「因果応報」の意味だと思います。
善行が、必ずしも好ましい結果をもたらすとは限りません。
しかし… それでは、あまりにも儚く虚し過ぎますね。
善い行いをしようとする気持ちや、人を助けようとすることが、
無駄なことのようにさえ感じ、誰も積極的に善行をしません。
逆に言えば、どんなに悪い行動をしても、現実的な面では、
何も悪い報いは無く、裁かれないこともあります。
また、「善行」や「悪行」と言っても、
それぞれの立場や価値観によって捉え方も異なります。
ひょっとすると、見返りを求めない「無償の愛」でさえ、
「善行」だと認識しようとする気持ちがあれば、
「悪行」になってしまっているのかも知れません。
いつものことながら…
話しがどんどん膨らみ、拡がってしまってますね。
そろそろ、多少強引でも、まとめに入ります。
私は… やはり… 言葉本来の意味がどうであれ、
一般的な解釈による「因果応報」の考え方に賛同します。
その感覚は「カルマの法則」に近いかも知れません。
結果に対し、妙な希望や期待感は持たないように戒め、
善行を心掛ける道が、人生のテーマだと思っています。
怒り、恨み、妬み、憤り、蔑み…
そんな想念を抱かず、言葉として発しないように、
また、受けないように… 心掛けましょう!