今日は、非常に非常に、ショッキングな出来事がありました。
セインの大学の所属している早稲田大学仏教青年会のメーリングリストから、早稲田の仏教青年会が危機的状況にあり、学術院長も今の状況をなんとかしたいとのことで、教育学部の事務長さんと話し合いが&善後策を立てるとのこと・・・・・。でした。
部活動が弱体化しており、部室を取り上げられる可能性があるとのことで・・・・・。
「えーーーーっつ!!1年休学している間にどうなってんのぉお〜!!」ってびーっくりして・・・。
わせぶつ(←略です)がなくなっちゃうかもしれな〜い!!と焦って、焦って、
顧問の石濱先生に大急ぎでメールを入れました。
かなり危機的な状態に陥ってしまったようです。
こんなことなら、二年前に部長を先生に打診された際に、受けておけばよかった!!とか、
真言&曹洞宗の立派な寺の息子たち(学生)は何をやっとるんだ!!!
とか、ムカムカイライラしても、しょうがないので、とりあえず、死んでもわせぶつを存続させるつもりで企画書を書いている次第です。
大学生って、考えてみれば、18歳〜22歳っていう、年齢なわけで・・・。
そんな中で、日本でとても地味な印象が強い仏教に興味を持つほうが不思議なわけで・・・・
その良さを若い世代に伝えていくのは、とても難しいと思うのです。
だから、ぶっせいも(仏教青年会)、衰退して、当然かも・・・・・。
と思う反面、
東大より、慶応より、ずっとずっと歴史長い活動と故人の想いに簡単に終止符は、とても後輩として不甲斐ない気がして・・・・。
なんとかしなければぁあ!!・・・・
と何よりもカリカリモードです。
人の想いは、
世に必要なものは、
ずーっとつながって、引き継がれていくもので・・・・。
その想いはまた必要であれば引き継がれ・・・・
終息する想いは安らかに眠り・・・・
どちらもそれぞれに、そうなるべくしてあるものなのだと思いますが・・・・・。
残すべきものは、しっかりと残していかなければと思いました。
自分も、生きる世代も、どんな立派な人も、悠久の時のわずかな点でしかなく、
でも、その点がずっとつながる何かを残せることは、その点であった形を次の世代に伝えることができるはずなので、そんなリレーの様な次世代から次世代への人生への想いへ・・・・。
そんなことに大きな価値観を感じています。
まるで、点でつながる想いは、アストラル界に大きな影響力のある故人の想いがつまった言霊のようです。
「ひーふーみーよーいつむー・・・・。」
日本の数を数える古語でさえも、強大な想いと想念体が作り上げる力が別次元に存在しています。
その力は、壮大です。
なぜなら、その言霊を唱えて生きてきた人の魂が幾千も存在し、それが今もなお、生きているからです。
そんな異次元の話は常人にはわからないとしても・・・・。
「継承力」という、人の想いを引き継ぐことには、点と、点と、その前の点と、そのまた前の点とをつなぐ、とても、とても大きな「継承力」という力があると思うのです。
確かに、東大の仏教青年会は、すばらしかったです!!生徒も、活動も!!
セインも、いつも会報に目を通して、この公演行きたいかも〜なんて思ってしまうぐらい・・・・。
でも、今後は、大学の活動をしっかりと立て直すことが継承力を引き継いだ人間の任務だと思いました〜。
今の縁や、立場や、自分の力や・・・・。
きっと必要であって突き動かされてしまうことの方が多いのだということは、なんとなくわかる気がするので・・・・・。
もう少し、故人の想い、少しでも残していけることに尽力せねば!
と思いました。
小野梓氏の創立当初からの仏教に対する想い、少しでも残せる点になりたい〜と思い・・・・。
下記に少し紹介させて頂きます。
来期は、大学に戻って、お線香が漂う部室、ブログで紹介したいと思います♪
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早稲田大学の建学に力を尽くした小野梓(1852年 - 1886年)は熱心な仏教信仰者であり、大内青巒や島地黙雷らと深い親交を結んでいたことで知られる。当時、大内や島地をはじめとする日本の若い仏教徒たちは近代に適応した新しい仏教のかたちを求めて様々な可能性を模索していた。その際、欧米のキリスト教青年会 (YMCA) の活動に注目し、仏教においても同様の団体を作り青年仏教徒の組織化に努めようという動きが宗派の枠を越えて広範囲に広がった。こうした背景のもと、創立後まもない東京専門学校(現在の早稲田大学)で小野の主導により仏教講習会が催され、学生の参加者を集めた。
のち明治19年(1886年)、小野の死去を契機として、その遺志を継ぐことを目的とする団体が設立され、島地黙雷の命名により「教友會」と名付けられた。これが早稲田大学仏教青年会の前身である。
明治20年代以降になると、大学や宗派を単位として青年仏教徒が組織をつくる「仏教青年会運動」が全国的に勃興するが、早稲田における教友會の結成はその先駆をなす動きといえる。京都普通学校(龍谷大学)には明治20年(1887年)、慶應義塾には明治23年(1890年)、帝国大学(東京大学)には大正8年(1919年)、それぞれ仏教青年会またはその前身となる団体が設立されている。
竜渓章雄によると、日本におけるこうした仏教青年会のうち、史料上確認できるものとしては早稲田の教友會が最も古いものであるという。[1]また教友會はいわゆる学生団体のはしりであるともいえ、学生運動史の関連からも歴史的な考察の対象となりうる。
教友會はその後大正5年(1916年)から大正12年(1923年)にかけて名称を幾度か変更し、最終的に「早稲田大学仏教青年会」とすることで落ち着いた。以来幾多の浮沈を経ながら存続し、現在に至っている。昭和33年(1958年)以降は、機関誌『久遠』をほぼ毎年発行している。
^ 竜渓章雄「明治期の仏教青年会運動--大日本仏教青年会を中心として-上-」『村上速水教授定年退職記念特集号--親鸞教義の研究』,1987.参照
[編集] 歴代会長