はいいっつ。セインは、
今日もこれから寝ます。
って朝の7時です・・・。(汗
お昼からセラピーが満載なので寝なきゃー。
今日もバースで17人ぐらい占いましたね〜。
金曜日はハードですぅ。
今日はあまり疲れなかったので、パフォーマンスに変化はなかったと思いますが・・・・・・。
そして、今日も、今も、手がキラキラ金ぴかのセインです。
量がすごいです。金ぴかの・・・・。
今日は、お客さんの手相でも出ている人を発見しました。意外と皆気が付かないだけで、出ている人が多いような気が・・・・。
なんか、アイシャドウ散りばめたみたいにキラキラしています♪
この不思議、なんなのか解明したいーー!!
この意味はっきり誰か説明してよーっつ。
こうやって、一度探求し出すと、止まらないのよね。どこまでも求道してしまうの。
「何で同じようなことを角度を変えて同じ時に占うと、374種類も答えがあるのに、何度も何度も同じものがでてくるのか?」
この現象世界に与える想念の相関関係は一体どういうしくみなのか???
そんな疑問を解明したくて、大学で思想・宗教探求し出してしまっているぐらいですから・・・・。
仏教の唯識論を深く掘り下げてアプローチしていくと、答えが出そうな気がしているのですけどね。
まだ正確にはわかりません。
でも、1つ言えるのは、目に見えない思いやエネルギーの世界の方が現象世界よりも先に存在としてある。ということです。
エネルギーや想いが先にきて、現象がついてくる。みたいな・・・・。。
現象世界は、あくまでも、エネルギー体が落としていく陰。みたいな・・・・感じかな・・・・。
この考えは、仏教の唯識論に非常に近い気がします。
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以下参照
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唯識は語源的に見ると、自己、および自己を取り巻く世界のすべての存在は、自己の根底の心(無意識)である阿頼耶識が知らしめたもの、変現したもの、という意味である[1]。
[編集] 心の外に「もの」はない
仏教の考え方の基礎は、この世界の全存在は縁起、つまり関係性の上でかろうじて現象しているものと考える。唯識説はその説を補完して、その現象を人が認識しているだけであり、心の外に事物的存在はないと考えるのである。これを唯識無境(「境」は心の外の世界)または唯識所変の境(外界は識によって変えられるものである)という。一人一人の人間は、それぞれの心の奥底の阿頼耶識の生み出した世界を認識している(人人唯識)。他人と共通の客観世界があるかのごとく感じるのは、他人の阿頼耶識の中に自分と共通の種子(後述)(倶有の種子)が存在するからであると唯識では考える(これはユングの集合的無意識に似てなくもない)。
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手のひらのキラキラは、この現象は果たして
どんなエネルギー界が落としていく陰なのか・・・・。
朝から変なことを考え出すと寝れなくなるので、
やめて寝ます。
明日のCherry Backaryは皆様フォーチュンセラピーのみなので、寝不足メロメロ催眠誘導の心配はありやっせ〜ん★