最近、凶悪犯罪が増加している。
時代は終末の様相を呈していると思われる。
善と悪が交錯し、時として善人が悪人のように思われたり、悪人が善人のように見えることもある。
過去にも凶悪犯罪はあったが、親が子を、あるいは子が親を殺害するというケースは滅多に見られなかった。
山田光復氏も危惧しておられるが、家庭の在り方をもっと真剣に見直していかない限りは、こういう犯罪は解決できないのではなかろうか。
過去に何度か言及したが、占い師の中には、平気で略奪愛を勧める連中がいる。
言語道断である。
そもそも「愛」とは尽くしても、尽くしても、もっと尽くしてあげたい、と思うものである。
「アガペー」というのがそうである。
与えても見返りを願わないもの。
本来は「父母の愛」がこれに近いと言える。
が、岡本千鶴子容疑者の例を挙げるまでもなく、親になっていないために、子を平気で虐待したり、殺害したりする輩がいる。
こういう連中は、ほとんどと言っていいほど、本人が親との関係において正常ではない。
「親元を離れたい」という動機で、人を好きになり、結婚してしまう。
もともと家庭の温かさを知らないために、本人もどうしたら幸福な家庭を築けるか分からないのである。
中には遊んで出来てしまった(妊娠したから)結婚した、という愚かなケースもある。
子供が欲しくて妊娠したわけでもないのに、質のいい子を産めるはずがない。
独身時代に「自分を犠牲にしても他を愛する習慣」が出来ていないものだから、赤ちゃんが夜泣きをするだけで、
「私が眠いのに、なぜこの子は泣きやまないの!」
なんて、ヒステリーを起こす親もいる。
要求する愛、奪う愛、溺愛、偏愛、…
こういうものは「愛」ではない。
クリスチャンであった小説家・有島武郎は「惜みなく愛は奪ふ」を書いたが、時代が時代だけに、神(キリスト)の愛を求めながらも、真実の愛に出会えなかったのだろうと思う。
私のところにも恋愛の相談に来られる方が多い。
若い女性達は特にそうである。
しかし、私は「彼(氏)ができない」という前に「まず、自分を磨きなさい」と助言している。
自分を高める努力をしていけば、自ずとその人に必要な縁が巡って来るものである。
自分の中に潜む「自分本位の考え」を徹底的に取り除く努力をすることが『最重要課題』であると考える。
「果たして、私は人を愛する資格があるのだろうか?」と、よーく自分を見つめてみるといい。
深い瞑想をして、謙虚に内なる声(良心の声)に耳を傾けるがよい。
環境に流されてはいけないし、どんなに嫌な事があっても他人に責任転嫁をしてはならない。
自分を戒め、高め、成長していく日々を送れば、不思議と環境がどんどん変化していくことに気づくであろう。
結婚は、「いい出会い」から始まる。
悪い出会いが多いと感じる人は、先ず自分自身を反省することだ。
いい出会い、いい結婚、いい妊娠、いい結婚、いい家庭、いい血統、…これが永遠の美しい世界(霊界)へと連結されるのである。
こういう不変の真理を抜きに「霊界」とか「スピリチュアルなこと」を語っても空しいだけである。
霊界は理屈ではない。
地上界で愛を実践することなしには、語れない世界なのである。