占いを否定する現役信者と、肯定する元物理学教師

 今日午後、30代の男性が占いコーナーの前で立ち止まり、隣のテーブルのアシスタントに、占いに関する質問をしてきた。
 初めは気にも留めなかったが、話が長引いているので、私が身を乗り出すことにした。

「どうしたのですか?」

「僕は宗教をやっているけど…宗教では占いは禁じております」

「旧約聖書(申命記18章10節)で占いを禁じているのは、当時の人々に対して、異郷の神々を信じたり、(エホバの)神を無視して拝んだり、神から離れる意味での占いを禁止したのであって、占い自体が悪い訳ではありません」

「聖書は全部神の霊感を受けて書かれているのを知ってますか?」

「ああ、テモテへの手紙(第2の手紙3章16節)でしょう?」

 私がテモテへの手紙を知っていたせいか、彼は一瞬ドキッとした顔をした。

「あれはパウロが書いた書簡であって、全てが神の霊によって書かれたというのはおかしいと思いますよ」

 彼は半ば感情的になって「あなたは聖書に対して主観を入れて判断して…」

「同じ新約聖書でも記述が著者によって異なっているじゃないですか?例えば、(3弟子の)ヤコブとパウロなんか比較しても(信仰に対する)見解が異なっているでしょう。こちらは仕事で占いをやっていますから、営業の邪魔をしないで、どうぞお帰りください」

 私がここまで言うと、彼はしぶしぶ諦めた。

 かの有名な霊能者スウェーデンボルグは、霊界を探訪して「パウロは最悪の使徒だった」と述懐している。

 パウロは、イエス・キリストから直接教えを受けた人ではない。むしろ、ローマの手先としてキリスト教信徒を迫害していた人物である。霊的イエスに出会った後、改心して信徒になってからは、命がけの布教をした。しかし、ヤコブは直接指導を受けた立場である。信仰に対する見解もかなり異なっている。テモテへの手紙に書いてある「神の霊感を受けて」聖書が書いてあるというのは、全面的に受け入れるべきではない。人間的な解釈が多分にあることを忘れてはならない。もし、全てが神の霊感ならば、パウロの信仰観とヤコブの信仰観が異なることはあり得ない。

 仮に、全てが霊感で書かれてあったとしても、一般の我々に彼の信仰を強要する資格はない。なぜ、自分の特異な信仰観でもって、占い師を批判するのであろうか。大きなお世話である。また、全ての宗教が占いを禁じているわけではない。それどころか、布教の為に占いを推奨している団体も多くある。世間知らずも甚だしい。

 彼が帰った後、しばらくして、感じのいい男性が来た。何度かこのブログで書いたが、エキセントリックな人が来た後は、まともな人が来るものである。

 何と高校で物理の教員をしていた人だった。占いは初めてという割には、素直にアドバイスを受け入れてくださった。少なくとも、特定の宗教にかぶれた人よりは科学的、論理的思考が出来る人物である。

 高校の教員を辞めて、医学の道に進む為に別の大学へ入り直したとのことだった。

 (私が扱っている)占いは、迷信のようなものではない。理に適ったものである。

 某国立大学工学部の教授も私の占いのファンで、定期的に訪ねて来られる。工学部といえば、占いとは縁がなさそうな感じだが、それでも信じてくださる。初めは好奇心から占っても、当たるから信じざるを得なくなるのかもしれない。

 確かに、占いの中には、天の理法に適っていないものもある。旧約の神様が禁じたのは、そういう意味の占いである、と私は確信している。