その幸せは永続するもの、それとも一時的なもの?

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最近流行りの「リア充」という言葉に違和感を抱くの私だけではないだろう。
「いまさえ良ければいい」と、現在の生活が楽しければそれでいいというような、刹那的な価値観には異を唱えざるを得ない。

人間は万物の霊長であり、他の動物と根本的に異なるところは、霊的な存在であるということだ。
肉眼で見ることのできる物質的なもの、形而下のものは、時間や空間の制約を受けるし、永遠性はない。
しかし、いわゆる、4次元の世界と言われる霊界は時空を超えており、永遠性を持つ。
肉体の寿命が長いからといって死後高い霊界へ行くという保証はない。たとい若くして殞命したとしても、イエスキリストのようなお方は間違いなく楽園以上の世界へ行かれる。
要はどれだけ現実が自分なりに満足する生き方をするかではなく、他を喜ばせ、他の為に生きて、それを通して自分自身が霊的にも肉的にも充実した生活をするかである。
自分さえよければ、という価値観はいずれ崩壊せざるを得ない時がくるであろう。
今が良ければという、リア充的な考え方で生きていけば、遠からず行き詰ましかない。
いつも永遠の世界である霊界をみつめた生き方をする人こそ、真の幸福をつかむことができるのではないか。
霊界を肯定する人は、隠れて悪い事をすることはできない。神様や先祖様が見ていると思うからである。
しかし、霊界を否定する人は、隠れて悪事を働いても平気である。見つからなければいいと考えるからだ。
淮南子の中に「陰徳あれば陽報あり」という「人間訓」がある。
人知れず善行を積んだ者には必ずよい報いがはっきりと現れる、という意味だ。

幸福は1人で得ることは不可能だ。家族や友人、知人、他人も含めて、他社との関わりを通してしか得られない。

一時的な幸せだけで満足する者はどこにもいない。
誰しも永遠なる幸せを求めている。
ならば、まずは自分を犠牲にして他の為に生きることから始めようではないか。
自己中心に生きるには人生は長過ぎて退屈である。しかし、他のために生きれば充実し、あっという間に過ぎてしまう。
リア充という言葉がこの地上から無くなることを切望するものである。