三毒

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仏教において、人間の諸悪の根源とされているものが「三毒」である。

貪(とん)、瞋(じん)、癡(ち)を克服しないと、人は苦しみから解放されないし、真の幸福を得られない。

しかし、これらを克服してきた者はほとんどいない。

千日行のような過酷な修行をしたからと言って、煩悩がなくなるという保証はない。

は、「貪欲」という熟語がある通り、必要以上に貪(むさぼ)ることだ。

字は似ているが、「貧」とは全く意味が異なる。

「清貧(せいひん)」と言えば、富を求めず、清い(正しい)行いをしていて貧しいことである。

は、怒りである。この字は、目+匕+鼎である。怒りで目が充填されてカッと開かれている。

は、真理に対する無知の心をいう。無明(むみょう)である。

人は神からの戒命に従わず、堕落して、真理を失ってしまった。

人はどこから来たのか、なぜ生きているのか、なぜ肉体は死ぬようになっているのか、死後の世界はあるのか...等々、根源的な問題を解決できずにいる。

聖書(ヨハネ伝)では、キリストを光に譬えた。光のないところでは、道が見えない。

キリストは光であるので、永遠の生命に至る道を示してくださった。だから「私は道である」とも言われた。

真理を悟った人は、霊的に明るくなる。絵画に描かれている聖人の背後の後光(オーラ)がそれである。

三毒を克服するために、まず自身がいかに不足な存在であるかを知り懺悔することが基本である。

懺悔(悔い改め)を指導しない宗教は、本物ではない。ままごとの宗教である。

懺悔するためにも、真理を学び、無知を克服する必要がある。知識をいくら得ても、知恵にはなり得ない。

真理は理性のみで理解できるものではなく、心霊が必要である。

敬虔な祈りを通して、必死に求めていけば道は開かれてくる。