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プロの占い師が集う[占いブログ]



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悪は元から断たなきゃダメ!!

2008-06-02

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 自民党と民主党は本日、18歳未満の子供をインターネットの有害サイトから守るための議員立法の共同法案の修正協議で合意した。私は個人的には、「民間の自主的な対応に委ねるべきだ」という民主党案よりも「国の一定の関与が必要だ」という自民党案に賛成である。 

 民主党案はまだましなかもしれない。民放連の放送基準審議会は「有害情報の基準策定に国が関与したり、間接的であれ主務大臣などが行政指導権を持つようなスキームは採用すべきではない」とする意見書を発表したのだ。

 意見書では「有害か否かの基準を法令で定義することになれば、表現内容に公権力の介入を許すことになり、すべてのメディアへの規制拡大につながりかねない」と指摘している。

 はっきり言って甘い考え方である。「民間」という表現自体が曖昧である。民間に任せると何をしでかすか分からない。特に「有害サイト」を経営する連中は、心根が腐っている連中である。

 本音を言わせてもらうなら、自民党案でも不満である。「有害サイト」を廃止せよ!

 キムタクのドラマ・CHANGEではないが、私が総理になったら、真っ先に有害サイト廃止、風俗営業禁止等を徹底するであろう。 

 悪は元から断たなければダメなのである。


 

Posted by shimjung 23:16:37Comments(0)TrackBack(0)

相次ぐ『硫化水素』ガス自殺

2008-05-06

 『硫化水素』を使って自殺する若者が後を絶たない。

 神から与えられた生命を自ら断つとは、何と愚かしいことだろう。

 霊界に於いては、自殺行為は「罪」として取り扱われる。

 どんな理由があるにせよ、自殺は絶対してはならない。

 天は、その人が乗り越えられない試練は与えない。

 死にたくなる程の状況に置かれても、必ず「救いの手」は差し伸べられるようになっている。

 ただ、その「救いの手」が差し伸べられたとしても、心を閉ざして受け入れなければ、話は別である。

 もっとも、安易な方法で死の道を選択すること自体、人生をあまりにも軽々しく考えていると言わざるを得ない。

ヘレンケラー女史をして「私より不幸な、そして偉大な人」と言わしめた女性がいる。

 中村久子女史だ。両手両足を切断し、3歳の若さから闘病生活を余儀なくされた。

 また、義父に身売りさせられ、見世物小屋での芸人として働かされた。つまり、笑い物にされたのだ。

 それでも、人間としての誇りを失わず、人生を歩みきった。 

 厭世的になっている人、生きる気力のない人、ぜひ彼女の生き様に学んで欲しい。 

 詳細は、下記のアドレスへ。
 
 http://www.nakamura-hisako.co.jp/index.htm
 

Posted by shimjung 23:27:03Comments(3)TrackBack(0)

小惑星が地球に衝突する事は絶対にあり得ない!

2008-04-18

 地球に最接近する小惑星アポフィスが、地球に衝突する確率について、ドイツ人の13歳の少年がNASAの計算の誤りを指摘し修正したらしい。

 記事を以下に紹介する。

 15日の地元紙によると、NASAは以前この確率を「4万5000分の1」とはじき出していたが、ニコ・マルクワルト君はアポフィスが人工衛星と衝突した場合の影響も含めて計算した結果、「450分の1」というはるかに高い確率を算出した。これについて欧州宇宙機関は、ニコ君の数字の方が正しいとの判定を下したのだ。

 ニコ君は、2029年4月13日にアポフィスが接近する際、地球を周回する4万基の人工衛星のうちの1基または複数と衝突するリスクを考慮に入れた。人工衛星は秒速3.07キロ、高度3万5880キロの周回軌道に載っているが、アポフィスは高度3万2500キロ地点を通過するため、人工衛星と衝突する可能性がある。その場合、アポフィスの軌道がずれて2036年の再接近時に地球と衝突する確率が高くなるという。

 NASAもニコ君も、アポフィスが地球に衝突する場合、直径320メートルで重量2000億トンの鉄とイリジウムの塊が大西洋に落下するという点では一致している。このときの衝撃波で巨大津波が発生、多くの沿岸部や海岸線が消滅し、分厚い塵が長期間地球を覆うと予想される。

 以上であるが、13歳と言えば、ティーネイジャーになったばかりで、日本では中学生だ。「何と聡明な少年よ!」と言いたいところだが、小生はこれには疑問を抱かざるを得ない。

 地球は、創造主によって計画的に創造されたのであって、偶然の進化による所産ではない。また、地球と人間は構造が似ているところが多いが、これは人間を標本にして地球が創造されているためである。

 人間のみならず高等動物は、異物が近寄って来ると撥ね退ける習性があるが、同様に地球星も異物である「小惑星」が近付いてくる前に跳ね飛ばすようになっている。

 地球は生きている。神の愛の中で生かされているのである。小惑星との衝突で破壊されることは絶対にないのである。

 
 

Posted by shimjung 23:11:56Comments(2)TrackBack(0)

霊界のメッセージを過信すると危険

2007-11-05

 よく「スピリチュアルメッセージ」という言葉を好んで使う人がいる。

 本当に霊界からのメッセージかどうか一般人には分からないから、ある意味デタラメを言うことも出来る。

 読んでみて、デタラメな内容が多いと思われるものは、「聖人達からのメッセージ」である。

 イエス・キリスト、釈尊、孔子、マホメット等からメッセージを受けたという内容を、書籍やネットなんかで見ることがあるが、ほとんどが荒唐無稽である。

 でも、そういうスピリチュアル(?)メッセージを真に受ける人はいるのだろうか?

 はっきり言うが、そういう聖人からメッセージを受ける為には、普通の生活をしていては不可能である。

 よしんば、その霊が「私は釈迦であるぞ」なんて言ったとしても、それを信じてはいけない。

 霊はいろいろな人物に化ける事が出来る。何千年も前の釈迦やイエスの時代には写真はなかった。いろいろな「絵画」があるが、あくまでも憶測で描いたに過ぎない。だから、現れた霊人が本物かどうか判別のしようがない。その霊人が語ることを全て信じ込むことほど危険極まりないことはない。

 たとえそれが悪霊であっても、はじめは高級霊のふりをする事がある。そして、真理を語るように見せかける。

 そういうメッセージを受け続けると、その人は自分が偉くなったような錯覚に陥る。それでも謙虚な姿勢でいればいいのだが、傲慢になったら最後…。その人は悪霊の餌食である。

 具体的なことを書くと誤解が生じる可能性があるので割愛するが…
 
例えば、私がそういうメッセージを受けたとしよう。

「なぜこのようなちっぽけな私にメッセージを下さるのですか?」と先ず問うであろう。

 また、本当に真理かどうか検証する必要がある。悪霊のメッセージは、一見「真理」を語るふりをして、我々に自己犠牲や自己否定を避けさせ、楽な方向へと導こうとする。つまり、自己肯定から自己中心へと導こうとする場合が多い。

 「あるがままの自分を肯定せよ」というのは、サタンの罠である。自己中心性が強い人間に対しては、特にこのメッセージは危険である。

 生きるか死ぬかの境地を乗り越えた人になって初めて「あるがままの自分」を受け入れることが出来るのであって、自堕落な日々を送っている人間に対して言ってはならないことである。

Posted by shimjung 21:24:15Comments(1)TrackBack(0)

OMEN 2

2007-10-02

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 気圧の関係でこうなったのかなあ?

それにしても気になって仕方がない。

Posted by shimjung 17:27:47Comments(0)TrackBack(0)

OMEN?

2007-10-02

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 今日昼過ぎのこと、空を見上げて驚いた!!

な、な、何と雲の動きが異常なのだ。

空が真っ二つに分かれていた(※写真参照)。

しかも、青空の方には、雲一つないのだ。携帯だったので一部分しか撮れていないが、東方の地平線から西方の地平線に至るまで、空全体が二つに分かれている感じなのだ。

もしかしたら、大地震の前兆か?

中越地震、柏崎地震のような大地震が再び起こらなければいいが…。

Posted by shimjung 14:44:34Comments(0)TrackBack(0)

「摂理」誕生は神の摂理か?

2006-08-09

韓国のカルト集団「摂理」の鄭明析教祖による『性的暴行問題』が取りざたされている。

どう考えても「摂理」の誕生は神の摂理とは思えない。

その教理については、学んでいないので私は意見を述べることが出来ない。

ただ言えることは、どんな宗教でも「悪い事」を行うように説く宗教はない。

レベルの高さはいろいろあるだろうが、そこそこ説得する内容があったり、そこの教えが一番だと信じるから入会すると思われる。

しかし、問題は教えそのものではなく、実体である。教祖が何を語るかということよりも、その教えを自ら実践し、真理の実体となっているかどうかである。

立派な事を語る人間は山ほどいる。

問題は中身である。

たといその教祖が真理を語ったとしても、中身(愛と心情)がなければ、ナンセンスである。

愛と心情があるかどうかは、その行動を見れば分かる。

私的な欲望を満たす為に、宗教団体を設立するのは止めて欲しいものである。

宗教にもレベルがあると思う。

高等な宗教は、男女の愛についても厳格である。

教祖自ら自堕落な生活をする宗教は、本物ではあり得ない。

Posted by shimjung 22:51:02Comments(0)TrackBack(0)

問われる「結婚の動機」

2006-05-19

最近、凶悪犯罪が増加している。

時代は終末の様相を呈していると思われる。

善と悪が交錯し、時として善人が悪人のように思われたり、悪人が善人のように見えることもある。

過去にも凶悪犯罪はあったが、親が子を、あるいは子が親を殺害するというケースは滅多に見られなかった。

山田光復氏も危惧しておられるが、家庭の在り方をもっと真剣に見直していかない限りは、こういう犯罪は解決できないのではなかろうか。

過去に何度か言及したが、占い師の中には、平気で略奪愛を勧める連中がいる。

言語道断である。

そもそも「愛」とは尽くしても、尽くしても、もっと尽くしてあげたい、と思うものである。

「アガペー」というのがそうである。

与えても見返りを願わないもの。

本来は「父母の愛」がこれに近いと言える。

が、岡本千鶴子容疑者の例を挙げるまでもなく、親になっていないために、子を平気で虐待したり、殺害したりする輩がいる。

こういう連中は、ほとんどと言っていいほど、本人が親との関係において正常ではない。

「親元を離れたい」という動機で、人を好きになり、結婚してしまう。

もともと家庭の温かさを知らないために、本人もどうしたら幸福な家庭を築けるか分からないのである。

中には遊んで出来てしまった(妊娠したから)結婚した、という愚かなケースもある。

子供が欲しくて妊娠したわけでもないのに、質のいい子を産めるはずがない。

独身時代に「自分を犠牲にしても他を愛する習慣」が出来ていないものだから、赤ちゃんが夜泣きをするだけで、
「私が眠いのに、なぜこの子は泣きやまないの!」
なんて、ヒステリーを起こす親もいる。

要求する愛、奪う愛、溺愛、偏愛、…
こういうものは「愛」ではない。

クリスチャンであった小説家・有島武郎は「惜みなく愛は奪ふ」を書いたが、時代が時代だけに、神(キリスト)の愛を求めながらも、真実の愛に出会えなかったのだろうと思う。

私のところにも恋愛の相談に来られる方が多い。

若い女性達は特にそうである。

しかし、私は「彼(氏)ができない」という前に「まず、自分を磨きなさい」と助言している。

自分を高める努力をしていけば、自ずとその人に必要な縁が巡って来るものである。

自分の中に潜む「自分本位の考え」を徹底的に取り除く努力をすることが『最重要課題』であると考える。

「果たして、私は人を愛する資格があるのだろうか?」と、よーく自分を見つめてみるといい。

深い瞑想をして、謙虚に内なる声(良心の声)に耳を傾けるがよい。

環境に流されてはいけないし、どんなに嫌な事があっても他人に責任転嫁をしてはならない。

自分を戒め、高め、成長していく日々を送れば、不思議と環境がどんどん変化していくことに気づくであろう。

結婚は、「いい出会い」から始まる。

悪い出会いが多いと感じる人は、先ず自分自身を反省することだ。

いい出会い、いい結婚、いい妊娠、いい結婚、いい家庭、いい血統、…これが永遠の美しい世界(霊界)へと連結されるのである。

こういう不変の真理を抜きに「霊界」とか「スピリチュアルなこと」を語っても空しいだけである。

霊界は理屈ではない。

地上界で愛を実践することなしには、語れない世界なのである。

Posted by shimjung 09:08:09Comments(2)TrackBack(0)

『心情』〜愛の源

2006-02-09

占い、人生相談の仕事をしていて感じることは、

最近、愛を軽く考えている若者が多い。

ちょっと好きになっただけで「愛してる」と軽く口

にしてしまう。

前にも述べたが、好きになることはイコール愛する

ことではない。

そもそも、心情が枯渇しているのにどうして人を愛

することが出来るのか。

ここで言う『心情』とは一般の概念とは少し異な

り、「愛することを通して喜びを得ようとする情的

な衝動」を意味する。

例えて言うならば、山の上にある「源泉」のような

ものである。

いつまでも水が渇くことなく流れていれば生命体を

育むことが出来る。

つまり、心情(源泉)が深い人は、愛(水)が溢れ

るように出て多くの人々に愛を与え続けることが出
来る。

愛することに「飽きる」ことがない。

もし、源泉が枯渇してしまったら、水は流れて来な
い。

つまり、心情がない人は他人を愛することは出来な
い。

愛しているつもりでも、自己中心的な愛であったり

見返りを求めてしまうものとなる。

「父母の愛」は、与えても、もっと与えたいものだ

し、たとえ子供から見返りが来なくても、与え続け

るものである。

男女間でそういう「愛」を期待しても所詮無理な話
である。

責任感、忍耐心、寛容さ、犠牲心の伴わない男女間

の恋愛は到底「愛」と呼べるものではない。

「家庭」の中で親子、兄弟姉妹の関係をしっかりと

築き、豊かな心情が出来た人は、異性との関係もう

まくいくものである。

ところが、この「家庭」に問題がある人が多い。

子供は親を選ぶ事は出来ない。

不幸にも親の人格がいびつであれば、尊敬しろと言

って、尊敬できるものではない。

そういう場合は、親を哀れんであげるしかない。

そして、親に代わる尊敬できる人物を求めていくと
よい。

歴史上の偉大な人物でもいいと思う。

そういう偉人の生き様を学び、少しでも実践し、近

づけるよう努力しようではないか。

Posted by shimjung 23:32:26Comments(0)TrackBack(0)

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