にっぽん文明研究所のブログから引用しますと
『日支事変から太平洋戦争にかけて前線部隊長として出陣された彼は、厳烈なる戦場に於いて、時には敵の空襲を予言し、或いは深い、深い祈りによる神の御加護と、神の誘導により、敵潜出没のバレー海峡で魚雷猛襲の間をくぐり抜け、無事輸送船をマニラに入港させる等、数々の奇跡を現され部下将兵の尊い生命を救った事実は枚挙に遑がない。
その彼も、敗戦後軍事裁判に問われ、戦犯として絞首刑を宣告され、モンテンルパオの牢獄に投獄される身となったのである。一般の死刑囚が入獄後七十五日を最後として死刑の執行を受けている中、実に百八十五日という長い間の牢獄生活であった。到底我々の想像も及ばない、否想像する事さえ許されない苦悩と恐怖の日々で、そうした苦悶のなかにあってもひたすら神への祈りに懺悔の日々を送り、同囚の人々に神の道を説き、数多くの死刑囚達に宗教的観念を抱かせると共に、これら死刑囚と共に宗教的実践をされたのであった。
こうした彼の祈りのため、米兵ですらてこずった一死刑囚の魂が一大転換を呼び、遂に感謝と喜びの内に従容として死刑台に上がった記録もある。こうした例は数限りなく、著書『予言部隊長』や『極限の群像』を拝読することにより溝口氏の祈りの深さ、愛の祈り、窺い知ること出来る。
死刑囚溝口少佐は牢獄にあって祈りを続けられ、死刑執行日を待って居られたのであるが、もちろん無実の罪であり、勝者が敗者を裁く暴力であった。溝口氏は一片の我欲もない人である。
従って戦場で溝口氏を敬愛していた現地人の切なる、助命嘆願は一旦死刑を宣告したアメリカ軍事法廷の権威をもってしても、これを拒むことは出来なかった。当然のことと云えばそれまでのこと乍ら、殺伐たる現地当時にあって、絞首死刑囚が一変して無罪出獄とは‥‥。如何に無実の罪であったとは云え青天の霹靂、これが奇跡でなくて何であろう、神の御加護でなくて何であろう。』
『予言部隊長』には「神の実在を証明した」というサブタイトルがある。昭和十九年以降、近衛将校だった溝口師が中支から激戦地フィリピン・セブ島の海上輸送の部隊長として赴任して体験した、凄惨な戦場での記録である。
「神道つれづれ」 神職・「にっぽん文明研究所」代表 奈良 泰秀 より引用
是非とも神道を勉強される方には一読願いたい。
スピリチュアルだとか、霊学と言う分野に踏み入れるよりも溝口師の本を拝読していただけたら大変な勉強になると思います。
かくいう私も先生の本を読んで毎日、「十言かじり」を奉唱しております。
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