家の中に神様を祭るということはあまりお勧めではない。
きちんと、毎日の神事ができてこそ「神棚」を設ける意味がある。
なのに、我が家には神棚がある。
目の高さより上に設けないといけないとされているが、私はこの神棚を
南向きにし、縁側の一番奥、台座の高さに設置している。
ご縁のあるものは自然と集まってくるのか、好むと好まざるに関わらず
私はこの神様を祭る羽目になった。
神棚の後ろにあるこれは、姫路の「灘の喧嘩祭り」で繰り広げられる(みこし)屋台の払われ綱で、
新調時は4本が1対で1千万円近くする品物。
この地区の御神輿(おみこし)は、国宝クラスのもので資料館に引き取られたり、
美術館行きなので綱が手に入ることはめったに無い。
よほどの「お布施」でもしない限り手には入らない。
なぜかそれが、我が家にある。
神を興す綱なのであれば。。。。。
その綱の力をもらおうと決め、神棚の中には、太陽神「天照大神」をお祭りした。
自分の「神我」と対話するように、この前で禅を組むので、胸と向かい合う高さに設置している。
私は、ここで静かに時を過ごし、祈る。
「よき方向へとお導きください。」と。
今まで私は、神の前で具体的な願い事をお願いしたことがない。
ただ見守っていただくことを願うのみ。。。
クライアント様のなかには、どうしようもない困惑の毎日で、痛すぎる胸の内が伝わってき、こちらも苦しくなることが多々ある。
けれどそれが、学びのプログラムなのであるかもしれない。その痛みを知ってこその「魂の成長」なのかもしれない。
ならば、「取り除いてあげてください。」とは祈れない。
ただ、見守っていただけるようお願いする。。。
皆の人生を、皆が歩き出すことを、私はここで静かに祈っています。
「豊潤なる未来をお与えください。真の人生をお与えください。」と。