疲れ果てて一日を終えたとき、虚無感から生きてることの意味さえ見出せないとき、喪失感から立ち直れないとき、
「明日なんかこなければいい」
そう願いを捧げながらベットに倒れこんだことはないだろうか。。。
生きていて、満開の花が咲きほこるような誇らしい時間というのは、そう多くはなくどちらかというと、「苦」の配分のほうが多い。
こんな時は、あえて孤独の中に入り込んでみるといいかもしれない。
雑多な中にいると、
他の人との比較で、私は幸せだ。幸せでない。の判断をしたり、
「家族の為に」「社会的信用のために」「あの人にどうおもわれるかわかんないから」など
と他者や世間の中に判断基準を求め、自分が本当に望んでいるものが何なのかが解らなくなるから。。。
「声」には色んな声があって
肉体からの声・・・(寒い、暑い、痛い、だるい、体が軽い)
感情からの声・・・(悲しい、嬉しい、イライラ)
考えからの声・・・(次はこの段取りで。。どうやったら上手くいくか。。)
そして「魂からの声」
魂からの声というのは絶えず、あなたに語りかけていたりする。
だけど、体、感情、考えの声のほうが騒がしく大きな声となるので、魂の声は掻き消されてしまう。
掻き消されてしまうだけで、ちゃんと貴方に毎日のように話しかけてる。
魂からの声。。。それは、あなたの真の叫び。神(しん)の声、心(しん)の声。
現代で生きる上で、私達は、様々な欲求、煩悩のカタマリとなるのは致しかたなく、物質的欲求を通じで安心感を持つ精神構造、社会構造となっている。
「安全であることの欲求」「認められることへの欲求」「支配による優越欲求」
この欲求が満たされてこそ、安心感が生まれる仕組みの中で生かされている。
けれど「真の安心」というものは、実は自分の「魂の声」の通りに動くことがて出来た場合にのみ得られるもの、状態がどうあれ、言いようも無い安堵感につつまれるものである。
これでいいのだと自分を認めることが出来る。
煩悩に惑わされ、自分の感情に振り回され、周囲の雑多な欲求に踊らされ、
「明日なんかこなければいい」
と思うことなく生きて欲しい。
凛然たる孤独の中で研ぎ澄まされていく貴方になってほしい。
そんなわたしに。。なりたい。。。。。
注)画像は姫路城(白鷺城)