強いトラウマや心の傷、孤独を抱えるものにとって、自分を理解し導いてくれる良いセラピストとの出会いは掛け替えの無いものであろう。
私も鑑定という作業をさせていただいてる中でクライアント様の心の闇と対話するので、ある意味セラピストでありカウンセラーの役割も担っている。
しかし、なぜ鑑定士なのか。。。なぜに占い師なのか。。。である。
セラピーや、カウンセリングには限界があるということ。
そして、鑑定士にも。
けれど鑑定士は、セラピストやカウンセラーより、もう1つ踏み込める領域があるとおもっている。
それは神の領域への踏み込み。内なる力への気付きを提示できるのではないかと考える。。。
単に苦しんでいるのではなく、何故に苦しむことになったのか、何故に、このような試練を与えられているのか?
見えない力の存在を知ってもらえることが出来るのではないかとおもう。
「神なんて存在しないさ。。。だってあまりにも不合理だもの。」
人は無意識に神の存在を否定する。ある意味、無慈悲で残酷で気まぐれで容赦のない神の手から、自分の人生の全ての手綱をとりもどし、全てを支配したいとのエゴがでてくる。厳しすぎる神の試練に対抗するがごとくがむしゃらになる。
人とはもともとエゴの存在。
エゴが強い人ほど何かを成し得る事が多い。
しかし単にエゴのみで手に入れたステイタスは、神によりそれなりに高い場所に誘導され、スルっと落とされる事になる。
周囲に配慮し心を分け合い手に入れた財とは別で、エゴという我欲のみで手にいれた財というものは砂上の楼閣となることが多いのはこのせいであろう。神の手に容赦はない。
神は何を望んでいるのか?
それは常に謙虚であれということ。潜在的な力に身をゆだねながら、受け入れることを覚えながら時を育むこと。
無条件な愛、ありのままを受け入れられる存在とのつながり、理解しあう人々との中で、自己を認め今を容認しながら進めということ、許すことを学べ、なのでは無いかと思う。
自分だけが知ってる自分だけの闇。
セラピストにもカウンセラーにも鑑定士にも話せない自分だけの闇が深い場所に根付いてる。
直視できない闇がある。
その闇を封じ込めたまま、自己を否定したまま、今の浮き彫りになった悩みだけに注視し治癒に向かおうと努力しても、もがき苦しみ退行していくはめになる。
心底から今の苦しみから抜け出したいのなら、表面以外の全ての苦しみを認め、苦しみを生み出した自分を認め、拷問に等しい人生という試練を潜り抜けなければならない。
とことん自分と向き合い、じっと嘆き悲しむ時間が必要で、誰かに何かに逃げ込んではいけない。
セラピー、カウンセリング、占いに逃げ込み、道を見失ってはいけない。。。
逃げ込まず活用しなければならい。
人生を変えたいのなら、自分を変えたいのなら、ほんとうに必要な事は、苦しみを潜りぬけること。苦しみに立ち向かう事。
苦しみから逃れられる道を探し何かに依存しても道は開けない。
恋愛中毒、アルコール中毒、肉親への執着、ワークホリック。。。
何事にも寄りかかってはいけない。
誰にも寄りかかってはいけない。
一緒に歩むものどうしは寄り添わなければ意味が無い。。。
見えない真実を探り一歩踏み込んだカウンセリングやセラピー、鑑定を施す。
そんな私になるためなのか。。。
日々、模索させられている。
私も迷い人。。。
神の意志によって、迷い人。。。