2007-09-30
うまくいかない?
買い物に行ったらお目当ての品が売り切れていた。
ちゃんと在庫しておきなさい!とお店に苦情を言うこともできます。
しかし、となりの店に行けばちゃんとあったりするわけです。
また、特に欲しい物はないけれど、たまたま立ち寄ったお店で見つけた物が欲しくなることがあるものです。
相性と出会いとあなたの個性で人生が組み立てられていきます。
たいていその内の一つでつまづきます。
ですから、つまづいたときはその他の要素に気を向けることです。
個性で行き詰ったら、個性を認めてくれる人や場所を探してみる。相性や出会いを求める。
相性で行き詰ったら、あなたの個性を重視してみる。あなたと相性のいい人との出会いを心がける。
出会いが悪ければ、友達をガラッと変えてみる。出会いのない人は自らの個性が生かされる趣味などに打ち込んでみる。相性のいい人を探す。
そんな風に多面的に生きてみることです。
お店に文句を言いたくなったときは、なぜお店に文句を言いたくなったのか、あなたの心の声を聞くのです。
目的は何なのか?商品が欲しいのか、うさばらしがしたいのか?
いずれにせよ、そのお店にいてもしょうがないということに気付くでしょう。
行き詰まりとは、そこに固執しているということかもしれません。
そのことに気付くだけでも、希望が見えてきます。
2007-09-28
何をやってもダメなとき
何をやってもダメなときがあります。
そんなときは、「ダメだ」と自覚することです。
その上で、ダメなりにイケてることを見つけるのです。
何をやってもダメだけど…
生きているな。それもスゴイことだよな。
目が見えることってスゴイな。
これおいしいな。
冷えたビールが飲めてありがたいことだ。
また明日も新しい一日があるんだな。
そんな当たり前すぎることをしみじみ味わうことです。
何をやってもダメだ。でもなんとかがんばらなくちゃ!という思いがときにあなたを追い詰めることになります。
何をやってもダメなときは、すでにできてることを味わって時間をおくことです。
2007-09-27
こんな時は逃げるが勝ちと言うより
常識の通じない人とトラブルになった。
こういう時はできるなら
去るが勝ち。
逃げるが勝ちならぬ去るが勝ちです。
早期に関係を絶ってあなたの心の健康を保つのです。
そのためには相手に補償を求めないことも一手です。プライドを傷つけられたとか、いろいろあるかもしれませんが、相手はあなたのプライドなんて想像もできないのです。あなたがムキになるだけくたびれもうけです。
とにかく常識が通じない人からは離れることです。
まずあなたの心の健康をキープしてから、余力があれば苦情を申し立ててみる。
苦情を言って聞き入れられないのも覚悟の上です。もし聞き入れられたらラッキーくらいのスタンスで臨むことです。
2007-09-26
変わらない相手
相手になんとか自分の思うような動きをしてもらいたい。
そう考えることがあるかもしれません。
確かに、相手に理解を求めて自覚を促し変化してもらうように願うことも一つの方法でしょう。
しかし、場合によっては手遅れになることがあります。
相手が変わるのを待っていてはこちらの身がもたないことがあるのです。
そこで、相手を変えるより、相手は理解不能な人物だと割り切り、相手を当てにしないことも考えなければなりません。
相手は変わらない、そもそもそういう人だったのだ、変えようとするだけ無駄。
心底そう割り切れたときに見えてくる景色を見るのです。
そして、次の手を考えるのです。
期待できない相手だと悟ったとき、どれだけあなたの心がさっぱりするか。
相手には悪気はなく、ただ能力がないと悟るのです。
親離れ、子離れならぬ、相手離れです。
2007-09-25
変化したら、変化に対して等身大になると…
変化が生じたときに、新しいものに抵抗することで恐怖が生じます。
一般道路から高速道路に移って、一般道路の感覚
でいたら恐怖を感じるでしょう。
高速運転のスピードを感じてしまうからです。
しかし、高速道路で走る感覚を持って高速道路に入れば高速で走らないことの方が恐怖です。
高速道路で一般道の感覚、これがスピードに対する抵抗です。
抵抗しない、つまり高速走行をすれば、となりの車が止まって見えるのです。
そのつもりにさえなれば、抵抗がなくなり、なじみ、なんでもないのです。
2007-09-24
混ざりきらない、混ざることも止めない
白とか黒とか割り切る方法を探しつつ、白とか黒とか割り切ることに固執しないこと。
白黒写真は白黒ではないのです。
スゴイ白、ちょっと黒っぽい白、真っ黒、ちょっと黒、等々が寄り添って写真になっているのです。
目指すは写真であって、白か黒かではないのです。
日々の生活も同じです。
目指すものはあるけれど、なかなか思い通りにならない、でも、それが生活なのです。
2007-09-23
完成品を見せるように生きてる人
何かを始めるのにどの方角がいいのだろう?
何月何日に手紙を投函すべきか?
どういうセリフで声をかけたらいいのか?
何回目のデートで手をつなぐのがいいのか?
などなど。
そういう思考パターンにはまっている人がいます。
リモコンで相手を動かしたいか、手を触れなくて済む念力でも使いたいのでしょうか?
手さえつなげれば、相手の気持ちなんか関係ないのでしょうか?
どうアプローチするかではなく、どんなアプローチでもいいからアプローチすることを避けてはいけないのです。
何回目のデートで手をつなぐべきかではなく、何回目かにかかわらず、受け入れてくれるかもしれないしふられるかもしれないと気付くことです。
伝えるべきことを伝えないでXXできたらいいなあと考えていることに気付くことです。
いつ投函するか、いつどこで買うべきか、というより、「懸賞応募や宝くじで一等を当てたい!いや本当はこの一通のはがきで、このお金だけで当てたい、はずれたくないと思っている」ことを自覚することです。
そう自覚できれば、「ああ、たった一通で、たった300円で当たることはまずないだろう。ならばいつでもどこでも気楽に投函すればいいし、どこの売り場でもかまわない」とわかるのです。
プロセスを踏まずに完成品を見せるように生きているのです。変です。
別の言い方をするとセクハラのような生き方です。
プロセスがなくていきなり、手を握ったりする。
だから、何回目のデートで手をつなぐべきか?なんて迷うのです。
どうしたら痩せられるかしら?
ではないのです。
痩せたいけど、食事制限はいや、運動もいや、ビール我慢できない、と思っていることを自覚するのです。
ああ、それじゃあ痩せないわね、と心底自覚することです。
本当に、本気で痩せたければ、食事も喉を通らないことだってあります。だから、本当に痩せたいなら、どうしたら痩せられるかなんて悩まないのです。
完成品を見せるように生きているとは、本当はなにもやる気がないことを自覚することです。
実は完成品なんか無くて、原料だということを知ることです。
原料だから、形もないのです。完成品ではないのです。作るしかないのです。プロセスを踏むように生きることです。
もしかすると原料を何にしたいのかをまず決めることからかもしれません。
2007-09-22
人間関係の醍醐味
あなたは車の運転をしますか?
通勤で満員電車に乗りますか?
どちらもいやな気分になることがありませんか?
つい、ブツブツ言いたくなることがありますか?
車の運転や電車に乗ることの前提条件をちょっと変えてみる。
例えば、車の運転をすれば、必ず後ろからあおるやつがいるものだ。ノロノロしている人がいるものだ。必ずいやな気分になるものだと最初から思っておくのです。
今日はどんないやな思いがするのだろう?と積極的に待ち受けるのです。
満員電車も同じように、蒸し暑い、窮屈、臭い、押されるものだと最初からはっきり思っておくのです。
つまり、今日こそは気持ちよく運転するぞ、気持ちよく通勤するぞ、とは思わないようにするのです。
逆にどんな失礼なやつに遭遇するのだ?と、失礼なやつを探すようにするのです。
恋人、夫婦、職場の人、友人、知人、さまざまな人間関係があり、どれもわずらわしく、面倒くさく、白か黒かで割り切れず…なのです。
ですからそういうわずらわしさ、面倒臭さ、割り切れないことを最初から基準にして考えるのです。
人間関係に悩んで、人との接触を避けて生活するのも一つの方法です。
しかし、逆にどんないやなことが待っているのだろう?体験してみよう!とあえて飛び込んでみるのです。
いやな事が次から次へと押し寄せてくるでしょう。
そうしたら、よーし来たな!と受けて立ってみるのです。
なにもいちいちきれいに解決しなくていい。
ドロドロを感じるのです。うわ〜私は今ドロドロだと認識すると言うか味わうのです。
そのこと自体が答えだったりするのです。
イエスかノーかではなく、なんだかわからない混沌を立派な答えだと思ってしまうのです。
人間関係とは、わずらわしい面倒くさい割り切れないから、すっきりさせない面倒でなくなるようにしない割り切らないようにするのです。
なんだかわからないドロドロとした混沌の中にこそ人間関係の醍醐味があるのです。
何か結果を得るのではなく、過程そのもの、ドロドロの中にいること自体に、味があり醍醐味があるのだと思うことなのです。
解決策なんて一生無いかもしれない。だから解決策を探していること自体に生きてみるのです。
2007-09-21
そうするしかなかったのです
他人から見て何故そんなことをしたのか?と首をかしげたくなることをした人がいます。
やったことがよくないことであることは確かです。しかし、単に悪い人として片つけてはその人の中に原因が生き続けます。また同じ過ちを犯すかもしれません。
行為の原因となる思いなどを推し量ってあげる受容の精神を忘れてはいけません。
人は誰もが自分をわかって欲しいと願っているものです。
どこかの国に脱獄の名人がいたそうですね。何度も何度も脱獄しては捕まる。ところが、最後に脱獄をやめたそうです。最後に出会った刑務官が「お前は脱獄の天才だ」とほめたそうです。実はこの脱獄名人は他人から認められずに生きてきたのでした。そして人生で初めて認められた。認めて欲しいという欲求が満たされたので、もう脱獄する必要がなくなったのです。
行為自体を罰して、解決したように思いがちです。
しかし、原因がなくならない限り、またやるでしょう。
ですから、何故その行為をしたのか、その原因を探ってやることを忘れてはいけません。
いじめをする子供は、家庭で満たされない思いがあるのかもしれません。関心を寄せてやることです。
一見華やかな人にも本当は問題があるのです。
勉強ができないと自分の存在が脅かされる。肩書きを持ってないと人に見捨てられる恐怖心。立派な仕事をしないと身がもたない。その他諸々の理由で華やかでないとやってられない人もいるのです。
表と同時に裏も見るような視点は大切です。
2007-09-20
見誤るメカニズム
DV(ドメスティックバイオレンス)家庭内暴力に苦しんでいる奥様は少なくありません。
家庭ではとても凶暴な夫。外では聖人君主、いい人、紳士。
DVに苦しむ奥様は誰かに相談します。ところが相談を受ける人からすると、その夫は紳士としか思えないのです。
そのため、奥様は苦しい気持ちを理解してもらえないどころか、「なにを贅沢なこと言ってるの。あんないい旦那さんじゃない。あなたの努力が足りないだけよ」などと言われてしまう。
外からは理想の家庭のように見える家で、しばしば殺人事件が起きたりします。
加害者となった人を世間ではひどい人と見ます。
しかし、実はどうなのでしょう?
外ではいい顔をしている。それは本当にいい人なのではなく、おびえているからかもしれません。他人が怖いからおとなしくしている。紳士のように振舞って気に入られようとしているだけ。
本当は悪態をつきたい心境なのに、迎合して聖人君主のように振舞っているだけ。
たまりにたまったストレスを家庭で発散しているのです。本当の姿である暴君になるのです。弱さを出すのです。
不自然に丁寧な人、異常に腰が低い人、気持ち悪いほどいい人。
そういう人を私なら恐ろしいと感じます。
本当は何を考えているのだろう?実は恨みつらみを抑えていて今にも爆発するのではないか?なるべく関わらないようにしようと考えます。
内面と外面は違うというこのメカニズムを知らないと人を判断するのを誤ります。
DVで悩んでいる人は、相談をもちかける相手を精査しなければいけません。もうこれ以上傷つくことのないように。
2007-09-19
知らないから、知らないという皮肉
自分が幸せだと思えない人。
幸せとは何なのか知らない人。
幸せが何か知らないし、体験も経験もないけれど幸せになりたいという人。
そういう人が知っておくとよいことがあります。
幸せを知らずに幸せになりたい人は、「幸せ」という形あるものがどこかにあって、それが自分には無く、いつかきっとその「幸せ」というものがやってくると思っているかもしれません。
一方、幸せな人というのは、そもそも「幸せ」という形は無いということを知っているのです。
「幸せ」というものはなくて、例えば何かの体験や出来事の中に幸せを見つけるようにすることを知っているのです。
財布を落としたという場合。
幸せを知らないけど幸せになりたい人は、財布を落としてついてないと感じたり不運を嘆いたりします。
一方、幸せな人は…。
幸せな人は、幸せなのではなく幸せになる方法を知っていると言えるかもしれません。
財布を落とした。
交番に行ってみようと思う。
そういえば、世の中には交番というものがあるのはスゴイことだと感心する。
もしかしたら拾った人が届けてくれてるかもしれない、人の世も捨てたもんじゃないな。人情っていいな。
などと考えて幸せを感じるわけです。
幸せを知らない人:
幸せを知らないから、幸せを求める。
幸せな人:
幸せを知っているから、幸せなんてものは無いと知っている。
幸せな人に育てられた人、幸せな環境で育った人は、幸せなんて無いんだよと教わった。そのことが幸せだったりするわけです。
知っている人は無いと思い、知らない人は在ると思って探してしまう…。
なんとも皮肉な話です。
2007-09-18
好きなことがわからない
好きなことがわからない。
やりたいことがない。
そのように悩んでいる人が多いようです。
最初、好きなことややりたいことなんて誰にもないのです。
もう一度言います。
好きなことややりたいことなんて誰にもないのです。
好きか、そうでもないか、そんなことを予め考えるからおかしいのです。
根拠なくなんとなくやってみようと思ったことをやってみるだけです。
おいしそうな食べ物を食べるときに、おいしいという保証はないでしょう?
一応おいしそうだし、食べてみたくなったから食べてみるだけです。そうでしょう?
本当においしいのかなあ?食べてもいいのかなあ?
と考えなくてもいいでしょう?
とりあえず食べてみるだけです。
好きなことややりたいことなんて、あなたの享年みたいなものです。最初から何歳で逝くかなんて予想できないし、しないでしょう?
ただ生きて、100歳まで生きた、というだけです。
好きなことややりたいこととは、
この瞬間にやっていることが好きなことかもしれないし、嫌いなことかもしれないというだけです。
あなたのそばにいる、いつも好きなことをやっていて輝いている人だって、いつのことだったかそれをやってみたら好きだと思ったというだけのことなのです。
予め好きなことを見つけてやっているのではないのです。
2007-09-17
親の愛を知らない
親の愛を知らない。
知らないから知りたい。
いくつになっても知りたがり続ける。
しかし、親は教えてくれない。
だけど知りたい。
でも教えてもらえない。
そうして月日が流れ、あなたはどんどん歳をとる。
親の愛を知らない人が知らない、もう一つの大切なことがあるのです。
それは、
親は愛とは何かを知らない
愛を注ぐこととはどうすることか知らない
ということ。
ですから、あなたが親の愛を知らないのなら、あなたの親に愛について尋ねてはいけないのです。
愛を知らない親に愛を尋ねるとは、
新幹線に乗って、時速280キロのスピードで走っているときに、どうして飛ばないのか?
と尋ねているようなものです。
どうして飛ばないのかしら?と
親も疑問をもっているようなものなのです。
真実は、飛行機ではなく新幹線だということなのです。
あなたの親は愛を知らないし、愛を与えるとはどういうことかも知らないのです。
あなたは新幹線に乗ったときに、飛ぶことを要求しないでしょう?
それは、新幹線は飛ばないと知っているからです。
今こそ、あなたの親が愛の与え方を知らないのだと知りましょう。
自分の親は愛を知らないと知ったとき、あなたには新しい風景が見えてきます。
※親が愛を知らないと知っても、親を責めてはいけません。むしろ、今までよく自分を育ててくれたと感謝するのです。
あなたと同じように、親も愛を知らなかったし、親もそのまた親が愛を知らなかったとは知らなかったので苦しんでいるのですから。
2007-09-15
隠したってダメ、バレバレですよ
例えば浮気をしているときに、パートナーに面と向かったら心穏やかにはいられないでしょう。
パートナーが体の不調でちょっと不愉快そうな表情をしている。その顔を見て、何か自分のことを疑っているのか?何か探っているのではないか?などと思うものです。
心に引っかかるものがあるために、相手の表情をありのままに感じることができないのです。
認めたくないこと、ばれたら困ることなどが心にあると、物事をありのままに見ることができなくなるのです。
普段の生活の中で、理由がよくわからないのに異常に怒ってしまうこと、身近な人に八つ当たりしないといられないこと、そういうことがある人は心の中をよく点検するとよいでしょう。
隠し事や、認めたくないこと、弱味、劣等感などを意識に上せることです。はっきりと自覚することです。
それに気付くまで苦悩は消えないでしょう。
2007-09-14
ありのままを見分けられてるか?
ありのままに物事を見ることは難しいです。
ありのままを見ていると思っていることは危険です。
夫婦、恋人、親子、友達…。パートナーをありのままに理解している自信がありますか?
理解していると自信がある人ももちろんいるでしょう。
しかし、ありのままを理解しているはずが、実は単なる思い込みであることが少なくありません。
思い込みで相手のためと思ってしまうと裏目に出ます。
あなたのパートナーの好きな食べ物は何ですか?
と聞かれてすぐに答えられないなら、ちょっと危険です。
相手の心に全然触れていないのかもしれません。
相手のことが好きだと思っていても、単に自己中心的に好意があるだけかもしれません。
あなたというカプセルの中に住んでいるだけかもしれません。
もしかすると、相手のこと以前に、あなた自身のことも思い込みかもしれません。
あなたの好きな食べ物は何ですか?
改めて聞かれると…、う〜ん?なんだろう?なんて考え込んでしまうかもしれません。
自分が何が好きかもわかっていない。
思い込みのカプセルの住人ではないか?事あるごとに点検しておきたいものです。
2007-09-13
こんな人もいます
結婚、離婚を何度か繰り返したり、何をやっても波乱万丈でなかなか安定した人生にならない…私の人生は一体どうなるのか?
ということで鑑定をしてみると…。
波乱万丈な人生を送る、と出ました。
つまり、波乱万丈なのがその人らしい、ということなのです。
そのことをお伝えし、抵抗なさらない方が運気が良くなりますよと申し上げました。
その結果、その人の反応は…
「あ!なるほど!なんだそうなんだ、波乱万丈でいいんだ!今度なんかあったら、これでいいんだって思います。なんか気が楽になりました」
というような展開になりました。
これでいいんだ、これがいいんだとありのままを受け入れることができた瞬間に、
過去の結婚、離婚の繰り返しも、なんだ、それでよかったんだと思えて安心し、許せるようになる。
人はそれぞれの人生を背負っています。
一般的にはお金や名誉があることがいいことだという尺度もあります。
しかし、それぞれの人生においては、お金がなくてもすばらしいし、名誉がなくてもすばらしいと解釈してあげるのです。
あなた自身をあなた自身が愛おしくかわいがってあげるのです。
できのいい子もかわいいし、できが悪くてもかわいいのです。
どんな子も我が子なのです。
神様からすれば、一般的に優れた人も、ぱっとしない人もかわいい我が子なのです。
ありのままでかわいいと思えることが幸せの素なのです。
2007-09-12
生きるのが苦しい人へ
学校、職場、その他の人間関係がわずらわしいですか?
他人といっしょにいるととても疲れますか?
何もかもうまくやろうとしないことです。
好き嫌いをはっきりさせることです。
何もかもうまくやろうとすることは、逆に見れば自分が何を求めているのかがわからないということです。
何を求めているかわからないから、何にでもいい顔をしなければならなくなるのです。
あなたの好みを決めてよいのです。
それを許さなかった周りの人間関係が悪かったのです。
あなたの好みに合う人がいるのです。
あなたが好みを追求するのをよろこんで見守ってくれる人がいくらでもいるのです。
あなたが好みをはっきり決めれば、その好みに合わない人はもう関係ないのです。
気をつかう必用がなくなるのです。
2007-09-11
限界を笑われたか、受け止めてもらったか
人にはそれぞれ限界があります。
その限界はその人の個性です。
ある人は25メートル泳げる。
ある人は泳げない。
どちらが良い悪いではないはずですが、25メートル泳げる人を偉いとたたえ、泳げない人を情けないと笑う。
このことが心の傷になってしまうことがあります。
身近な人から笑われて、自らの個性をなくしてしまった人が大勢いるのです。
「泳げないのね。じゃあプールサイドでお茶でも飲みながらお話でもしましょうか」
そんな風に個性を受け止めてもらえた人は泳げないことをなんとも思わないで先に進めるのです。
いつもいつも何かに追い立てられているような気持ちで苦しい毎日を送っている人は、上の例のような体験がありませんでしたか?
あなたは何も悪くなく、そのままでも十分に魅力があるのに、心無い身近な人から冷たい言葉で自信をなくしたのではありませんか?
2007-09-10
いいこと教えてあげる
対面している人が何を考えているか知りたいですか?
正確に相手を見抜くために有効な簡単な方法をお教えします。
相手がどんな呼吸をしているかを見て下さい。
そして、相手と同じ呼吸を自分もしてみるのです。
すると、
ああ、この人は仕事に集中しているな、とか自分を見失って心がグラグラしているな、とかいろいろなことがわかります。
対人恐怖などでお悩みでしたらぜひ怖い相手の呼吸を読んでみて下さい。
言葉があらく声が大きな怖い人が、実は自信がなくてあせっていて虚勢を張っているのだとわかったりします。
そうとわかれば、あなたはそんなに怖がらなくても済むのでは?
そして、周りを見渡して、あなたの望むいい人を見つけて付き合いましょう。
呼吸は口ほどにものを言うのです。
2007-09-10
休暇終了
しばらく夏休みをさせていただきました。
シーズン中の混雑がきらいなので、ちょっと時期をずらしました。
草原の馬を見ていると、馬は馬として生きていて、いるべき所にいて、リラックスしているようでした。
野猿は忙しそうでしたが、それがまた猿らしいようでした。
山羊はお腹が空いているのか「私が私が…」という出しゃばった感じ。
羊は空想の中に生きているような感じ。
ロバはいつでも仕事しますよと言わんばかりで力を秘めた感じ。ウズウズしているようでした。
充電完了しました。
業務再開します。
よろしくお願いします。
ブログを読んで下さるあなたへ
電話を下さるあなたへ
いつもありがとうございます。
和顏(わげん)
2007-09-05
NOと言えない人
NOには無数の強さがあります。
強い否定からなんとなくNOまで様々です。
NOと言われて落ち込む人もいます。
完全に人格を否定されたと受けとめてしまうからです。
相手がどの程度のNOを言っているのか。それを見分けるためには、心が健康である必要があります。
自分がない人はNOと言えません。
NOと言いたい。しかし、言ったら相手に嫌われるかもしれない。嫌われたくはないと思う下心が連鎖的に心をむしばんでいきます。
自分がある人はシンプルにNOと言えるのです。
NOと言っても、全人格を否定するつもりではないと知っているからです。
NOと言える人は、NOと言われてもそんなに気にしません。自分のある一面だけがNOで、他はOKだと知っているのです。
他人に拒否されて異常に落ち込む人は、一度心の点検をした方がいいでしょう。
忘れ去った記憶の中にトラウマがあるかもしれません。
あたたかい励ましの言葉をもらえる環境にいたか、それとも、あなたをバカにする人たちに囲まれていたか?
人をバカにすることで相対的に自分を高めようという人には気をつけましょう。こういう人は何もしないで自分を高めたいから、人を落とすのです。人が落ちれば自分は位置が変わらないのに高くなった気になれるからです。
そういうタチの悪い人の中にいたら、心は不健康になります。
心が不健康では、正しくありのままを判断することはできません。
2007-09-04
完全ではないはずなのに
あなたは完全無欠の神ではありません。
人です。
なのに何故そんなに完全を目指すのですか?
ふと我に返って考えてみると、無理をしていませんか?
あなたは人なのに、まるで神になれとばかりに完全を課していませんか?
完全でなくていい。
人として生きましょう。
そして、周りの人も等身大の人として見ればいい。
あなたはあなたを許すし、周りの人をも許してあげたらいいじゃないですか。
2007-09-02
目標って、どうやって決める?
人生の目標が何だかわからない人は大勢います。
人生の目標以前に、日々の暮らしの中で意識的に何かを決めていますか?
ほんのささいなことを決めてやる。
そのことが自信をつけます。
今夜は24時に寝ると決めて寝てみる。
明朝、ああちゃんと自分で決めたとおりに寝たなと自分をほめる。
例えば、外出時は左足から靴を履くと決める。
そして、左から履いて、ああ、確かにやったと味わう。
普段何気なくやっていることを意識して決断してやってみる。
しばらくそうやってみると、なるほどこれが自信だなと実感する瞬間がやってきます。
何か力を得たような感覚がします。目の前がパーッと開けたような感じがします。
人生の目標なんて、どこかから湧いて出てくるのではありません。
決めてやって、これは違う、では今度はこれを決めてやって、うん?これは何か自分が求めているものかもしれないと発見したりする。
そうやってるうちに、これが自分の使命に違いないというものにめぐりあったり、気付いたりするかもしれないものです。
きっかけを自分で作って、自分で収穫できる。
この一連のことが人間に与えられた特質です。
創造主の分身です。
目標がわからない人は、自分できっかけを作らずに、何者かから与えられる結果のみを得ているのです。
だから自分が何だかわからなくなるのです。
自分できっかけを作って実行すれば、結果がなんだろうと納得できるのです。
間違いだったら違うことをするだけです。後悔なんかしないのです。
2007-09-01
変な人にからまれたら
変な人にからまれ、理不尽とも思える要求を突きつけられたら。
相手が変な人だけに、早く縁を切りたい。
そのために、なんとか要求を呑めばもうからまれないのでは…。
その考えは間違えです。
まず、変な人というのは、本人が何に対して不満があるのかわかっていません。だけどとにかくイライラしたり気持ちが安定しません。そのため、なんとか自分をもたせるために優しいあなたにわがままを言っているのです。
あなたにわがままを言うことは、変な人自身の不満を満たすことにはなりません。このことを変な人は気づいていません。
だから、あなたが理不尽な要求を受け入れても、変な人は全然満たされません。さらにつけこまれるだけです。
変な人にしてみれば、これでもだめだからもっときつい要求をしなければ!というわけです。
あなたが要求を呑むと、もっともっと理不尽になっていきます。
あなたのするべきことは、変な人の要求を渋々受け入れることではなく、「いやです!」と言うことです。
「なぜだ?」なんて聞かれても答えないことです。
ただ「迷惑です!」と言うだけで十分です。
本当は足の水虫が痒いのに、「頭が痛い、頭痛薬をよこせ!」と言っている人に頭痛薬を渡しても仕方ないのです。
一度要求を呑んでしまうと、
「なんだこんな薬!効かねえじゃねえか!もっと高級な頭痛薬を出せ!」と言われるのがおちです。
変な人が「頭痛薬を出せ!」と言ってからんできたら、「いやです!」とだけ言うのです。
あなたは頼りにならない、この人はかまってくれない、相手にしてくれないと思い知らせるのです。
世の中、どこに行っても意地悪な人がいるものです。
あなたの人生の目的に、その意地悪な人がなんの役にも立たないのなら、要らないのです。
近所にお肉を買いに行くのに、新幹線に乗りますか?
え?…乗らないけど…でも…。きっぱり捨てられない人には目的がないのです。
まずは人生の目的をはっきり見つけましょう。