2007-10-30
暗いと言われて悩んでいる人
ある営業のお仕事をしていらっしゃる女性から相談されました。
「私、声が暗いと言われるんです。電話だと、元気ないねとか何かあったの?とか言われてしまうんです…」
この営業さんは、声が暗いことをよくないことだと感じているのです。
きっと周りでは「元気よく!!」が合い言葉なのでしょう。
声やしゃべり方には個性があるものです。
この営業さんは、ゆっくり、しっとりしゃべる個性があります。
元気がいい人より、ゆっくり、しっとりしゃべる人の方が好きだという人もいるはずです。
現に、この私はこの営業さんに好感を持っています。
個性は様々。
一般論に流されて自らの個性をねじ曲げるといずれ破綻します。
この営業さんは、アプローチ数をもっともっと増やして、「あなたとお話してると、なんだか癒されるわ」と言ってくれるお客さんを見つけた方がよさそうです。
暗い個性の持ち主が無理に明るくしようとするからおかしくなっていくのです。
無謀な努力です。
それより、自分と同じように暗い人を見つけて、「あなたといるとホッとするわ」と言ってあげる努力をしてみることです。
2007-10-28
別に問題ないんじゃない?という本能とうしろめたい本能
女性にとっての買い物は一種の本能でしょう。
本能と言っても買い物ですから無難です。
ところが男性の本能の一つはどうでしょう?
例えば女性の裸に興味があるという本能。
これはうしろめたいです。
本能に強いられて、買い物三昧。
全然うしろめたくないですね。
微笑ましい感じすらします。
本能に強いられてネットでエロ三昧。
これはうしろめたい。
男性には女性の買い物狂いが理解できない。
女性には男性のエロ傾倒が理解できない。
でも、買い物したくなっちゃうし。
エロ情報見たくなっちゃうし。
そういうものなのだと思うことです。
2007-10-26
幸せは、ほら、そこに
今食べているものをおいしいと言わなかったら、いつおいしいと言うのだろう。
今やっていることを幸せと思わなかったら、いつ幸せだと思うのだろう。
年に一度の特別な料理だけをおいしいと言うのなら、日常の強いて言うなら普通の食事はおいしくないのか。
特別なことをしている時だけが幸せなら、普段はいったい何なのだろうか。
走っているのも車なら、車庫にずっと停まっているのも車。
高速道路を快適に走っている時だけを幸せだと思うから、日常がつまらなくなってしまう。
ビールはビールなりにおいしい。
蕎麦は蕎麦なりにおいしい。
特別な時も幸せだが、何もしないでボーっとしている時も幸せ。
たまたま入ったお店の食事がおいしくなくても、おいしくないということを笑えたら幸せ。
2007-10-25
無いものは無いと認めると生まれるもの
無いものは無いと認めてしまうことです。
無いものを無いと認めることができた人は、無いものを追いかけなくなります。
つまり、おかしな執着から開放されます。
すると、あら不思議…。
今度は、今有るものに気付き始めます。
無いものを無理に追い求めてエネルギーを消耗するのと、全く無理をしていないのにすでに有るものを利用するのと、どちらが楽で有効なことか。
2007-10-24
「楽しんでしまえばいい」の意味
どんなことでも「楽しんでしまえばいい」とよく聞きます。
つらいことや悔しいことも「楽しめ」とよく言われます。
しかし、実際問題どうでしょう?
つらいことや悔しいことを楽しめますか?
正直なところ、楽しめません。
楽しむのは不自然です。
「楽しんでしまえばいい」と言う言葉に無理があるのです。
こう言ったらどうでしょう?
「どんな味がするのか言ってみよう」
つらいことや悔しいことがあったら、どんな味がしているか言葉にしてみるのです。
「味」と言っても、味覚でなくていいのです。
つらいものはつらい、くやしいことはくやしいと言葉にしてみるのです。
誰に聞かせるでもないので、自分の心の中ではっきり言葉にするのです。
自分は今、つらいと思っている、悔しがっているな、と。
ビールにはビールの味の中にしかおいしさがないのです。
ケーキにはケーキの味の中にしかおいしさがないのです。
ビールはビールの味を楽しむしかないのです。
ケーキはケーキの味を楽しむしかないのです。
2007-10-21
見たものだけが見える
あなたの家庭と誰かの家庭ではいろいろ違いがあります。
例えば普段テレビを見るときのボリュームもそれぞれでしょう。こんなに大きな音でテレビを見るんだとか、食事中も点けっ放しなんだとか。
出張で全国をめぐる人は、お酒ならあそこのあれがうまいとか、海はあそこがきれいだとか知ってるでしょう。
反対にあまりよその家に行かない人は、自分の家の現実が現実だと思うかもしれません。
出張もなくいつも地元にいるとすれば、地元の現実が現実だと思うかもしれません。
何が言いたいかと言うと、あなたはあなたが見たものだけが見えるということ。それと同時にあなたが見ていないものがあるということ。
移動に時間がかからないモノが存在するならば、ここはそこでもあるのです。さらに発展して考えると、移動に時間がかからないなら。広大な宇宙空間は電子顕微鏡でも見えないような小さな小さな点のようなものでできているのかもしれません。
ここでもあり、そこでもある。
地上にいたらあそこまでしか見えません。しかし、高いビルの上からはもっと遠くが見えるものです。
再び何が言いたいかって言うと、心が一点にとどまると、その点しか見えないということです。見ているものだけが見えるだけです。点はあそこにもあっちにもあるのに。
2007-10-20
なぜ怒るのか?不愉快になるのか?
怒りを感じたとき、不愉快な思いをしたとき、あなたの姿に気付くチャンスです。
なぜ怒りを感じるのか、不愉快だと思うのか、冷静に考えてみることです。
怒って当然、不愉快になって当たり前だと思いがちですが、本当に当然でしょうか?
冷静に考えてみると、怒りや不愉快に根拠はないはずです。
ただ、あなたが怒りを感じたり、不愉快に感じたりしているのです。
ですから、なぜ怒りを感じるか、不愉快に感じるのか探ることで成長できます。
あなたの中の本当の姿に気付くチャンスです。
2007-10-18
自分の願いか?それとも誰かの願いか?
なぜその学校に通っているのか?
なぜその会社に勤めているのか?
なぜ子供にその服を着せているのか?
みんなが行ってるから。
名の通った企業だから。
他のお母さん達の手前…。
それとも
自分のレベルに合ってるし、校風も自分に合ってると思うから選んだ。
私は○○の仕事がしたい。そのためにはこの会社が自分にとって最適だと思ったから。
私の好きなブランドだし、この子にもぴったりだから着せたかった。
他人を気にして何かをやっていると、いずれあなたはあなたでなくなります。
あなたがあなたらしく行えば、あなたは益々あなたになっていきます。今、ここを楽しむことができます。どこでなにをしていても、しっかりと地に足がつています。悩みもなく悔いもなく、ただあなたであることに喜びを感じます。
2007-10-17
初めてのビールの味?
初めてビールを口にしたときの味を憶えていますか?
うっ(>_<)苦い!
と思ったことでしょう。
うまそうにビールを飲んでいる人たちを思い出し、よくこんな苦いものが飲めるなあと思ったでしょう。
そんなあなたが今はどうでしょう?
ビールをおいしくゴクゴク飲んでいることでしょう。
あの苦味がうまいんだ!
と言っているでしょう。
日々の生活でうまくいかないことやいやなことがあるでしょう。
ビールの苦味と同じです。
うまくいかないことやいやなことの中に味を見出す。
あの苦味がうまいんだ!と言うように。
何でも我慢すべきだと言っているのではありません。
ビールにアイスクリームのおいしさを期待するのはおかしいと言っているのです。
うまくいかないとき、これはやり方を変えなさいというメッセージだな。いやなことがあったら、どうしていやなのか心と向き合ってみるいい機会だ。
そんな風に苦味の中に味を見出すことで、ビールがおいしくなるのではないかと思います。
2007-10-16
はるかに遠いか?
東京から富士山は遠いかもしれません。
しかし、沼津からはそんなに遠くありません。
自分が変われば、相手が変わる。
富士山を東京に近づけることはできないので、しようとしないことです。
しかし、あなたが沼津に行くことはできるのです。
遠くに見えた富士山の位置は変わりませんが、沼津に行けば近くに見えるのです。
2007-10-15
あなたの解釈で亀裂が広がる
東京タワーを見たことのない幼い子供がいます。
その子が幼稚園で東京タワーという体操を覚えてきました。そして、親のあなたに「ほら見てー!」と言ってきたとします。
丁度その時、あなたはインターネットの最中だとします。つまり、ネットで検索すれば本当の東京タワーの画像を見せてやれる状況にあります。
さて、その状況であなたがとる行動が二つあります。
一、「東京タワー?そう言えば、まだ見たことがなかったわね。じゃあ見せてあげる!」と言ってネットで東京タワーの画像を見せてやる。
二、子供が東京タワーを見たことがないことを思い出し、ネットで検索すれば東京タワーを見せてやることができるとわかっていても「東京タワー?へー、なーにそれ?お母さんに教えて!」と言う。
さあ、あなたならどっちですか?
一のタイプの親。
残念ながら親子の溝を広げる可能性が高いでしょう。無関心とはこのことです。
子供は本当の東京タワーなんか見たいとは言っていないということに気付くべきです。子供は体操の東京タワーを自慢したいのです。本物の東京タワーの画像を見せることは「正しい」ですが、大間違いです。
二のタイプの親。
子供に関心を寄せていると言えます。子供はきっと満足でしょう。もっともっといろんなことをおぼえてお母さんに教えてあげようと意欲的になることでしょう。
2007-10-14
自分で全てをかぶらなくていい
全てを自分でなんとかしようとしていませんか?
それで行き詰っていませんか?
そんなあなたは、自分以外に任せてみることです。そうするとあなたにはたくさんの資源があることに気付くはずです。
例えば、車。
もし自分で車を運転してどこかに行くのなら、車を調達することから維持すること運転すること駐車場の確保までやらなければなりません。
仮にタクシーを利用するならば乗るだけで済みます。
全部を自分で手に入れなくてもいいのです。
人生で無いものに気がいってしまい生きずらい人は、自分の所有にこだわらないことです。
この世には全てがあるのです。ただあなたが所有していないだけです。所有しないで利用することを考えてみるのです。
2007-10-12
あと何回会えるのか?
あなたはその人にあと何回会えるのでしょうか?
急な転勤や引越しや家庭の事情やその他の理由で突然会えなくなることがあるものです。
え!そうなんですか?じゃあもう会えないかも…。
と思ったときに後悔はしたくありません。
予期せぬ別れが訪れるのなら…。
あの時、臆することなく親切にしてあげればよかった…。
困っていた時にもっと親身になってあげればよかった…。
なんて後悔しても遅いのです。
今日が最後かもしれないと思えば、他人に対する姿勢が変わります。
2007-10-11
思わぬ拾い物
ひきこもりたくなる時期が誰の人生にもあるものです。
人に会う気持ちにならない。
八方ふさがりのように感じる。
アリ地獄にはまったように感じる。
そんな辛い時期があるものです。
特に理由もなく何気なく会った人との会話で元気をもらうことってありませんか?
相手の人はあなたを励まそうとしているわけではないけれど、なぜか元気になることがありますよね。
相手との関わりの中で、なぜかもう一度がんばってみようと思ったりしますよね。
振り返ってみると、すっかり元気になった自分がいる。
元気になろうと思ってその人に会ったわけではないのに。
特に目的がなくていい。
ただ誰かと関わることで心に火が灯ることがあるものです。
2007-10-10
困ったときに
なにかに困ったときに、気持ちが冷静になる簡単な方法です。
まず困っていると自覚する。
それから頭の先からつま先まで点検していきます。
今回の困ったことで
・髪の毛が抜けたか?
・眉毛が急に白髪になったか?
・目が見えなくなったか?
・鼻の穴がなくなったか?
・耳がもげたか?
・口が裂けたか?
・首が痛くなったか?
そんな感じでつま先まで点検していくのです。
上記の質問はバカバカしいようですが、実際にやってみると答えは全部NOになって、つまり、何も体に異常がないことに気付きます。
もっと質問の幅を広げて
・地面が割れたか?
・空気がなくなったか?
・晴れてるのに雪が降りだしたか?
と考えてみるのです。
これを読んでる段階ではバカバカしいと思うかもしれませんが、実際やってみると、世の中何も変わっていないことに気付き、困ったことが少し小さくなったような気がします。
困ったことが起きたけど、体は元気だし、世の中は変わっていないし…と考えるとちょっと元気になれます。
2007-10-09
好きだから迷惑をかけたくない?
好きだから、迷惑をかけたくないから、だからできるだけ自分でやってしまおうという人がいます。
傍から見ると、いつまでたってもよそよそしく見えます。
そういう人は、迷惑をかけないかわりに、親しみもわきません。
このようにあまりにも甘えることを知らない人は、多少相手に世話をやかせるとよいでしょう。
道具にしても、いつも手入れをしている道具には愛着がわくものですが、放っぽりぱなしの道具には何も感じなくなります。
手間がかかる子の方がかわいいといいます。
あえてちょっと迷惑をかけてみることです。誰かと関係を深めるのに有効です。
2007-10-08
こんな夫が
ある夫の話です。
朝、ソファーにグタッと座る。
それは奥さんや娘に俺の着替えをやれ!という意味なのだそうです。
奥さんとお嬢さんは、旦那さんのパジャマを脱がせ、靴下を履かせ、シャツもズボンもなにもかも着せるのだそうです。
そうしないと旦那がキレるそうです。
ところでこの旦那さん、妻子にこんなことをさせているのですが正当なことだと心の底から思っているのです。
その旦那さんの育った家庭でも同じような光景がくりひろげられていたそうです。
だから当たり前だと思っているのです。全然悪いことだとは思っていないのです。
奥さんもお嬢さんも気が狂うほどいやな思いをしているのです。
アニメと現実の世界の区別ができない子供がいます。未熟なのです。傘を持って二階から飛び降りたり…。これならまだ飛び降りた本人がけがをするだけです。誰でもよかったと街で刃物を振り回されたら周りはたまったものではありません。
自分と外界の区別がない人は、周りの人を病気にします。
2007-10-07
自分であるか?
あなたのいる、「今とここ」を感じ味わえているか?
それとも、もっとこうだったらいいのに!もっとこうだったら○○するのに!と思っているか?
あなたがもし後者だったら、もしかしたらあなた自身を忘れてきたのかもしれません。
「今とここ」を十分に味わえて、さらに現状を改善しようというのは健康です。
しかし、「今とここ」を否定するだけで、ワープでもするかのように完璧を目指すのは、自分を生きていません。自分ではありません。
あなたとパートナーの間に問題が持ち上がる。すると、すぐにパートナーをかえようとする人は自分がありません。
例えば、お気に入りのバッグに鳥のフンがついてしまった。ほんのちょっとだけフンがついた。捨ててしまおう、別のバッグを買おうというのは自分がありません。
鳥のフンがついてしまった。こんなこともあるのね。とりあえずきれいに拭こう。そうだ太陽光に当てれば消毒になるかもしれない。自分には免疫があるからちょっとくらいばい菌がついていても体が守ってくれるわね。
これは例えばの話ですが、そんな風にプロセスに生きられる人は自分を生きています。
自分を生きていない、自分ではない人はいずれ無理が限界になります。
バッグにフンが付く度に新しく買い換えていたら経済的にも無理がくるのです。
短絡的にバッグを買い換えたら、出来事に対処するアイディアも生み出さないし、太陽光のありがたみも見えない、自分の体力にも気付かないのです。
2007-10-05
比較されて育った子供
ある兄弟がいます。もう大人です。
弟はいわゆる出世街道を歩んでいます。
兄はパッとしません。
そのパッとしない兄に関わる機会があり、いろいろ聴いてみました。
その人は自分を生きていません。
自分のままではダメだと思い込んでいます。いや、お前はそれではダメだと言われ続けて育ってきたようです。
その人の親は、激励の意味で弟みたいにガンバレと言い続けてきました。
弟ができるのだからお前にもできるはずだ!
弟のような職に就け!
結婚して子供をもうけよ!
等々延々と「激励」され続けているのです。
その親は、ただの一度も、お前はお前で素晴らしいと言ったことがありません。
勉強は弟ほどできが良くないけれど、お前は繊細で優しいところがある、と認めたことがありません。
一流企業に就職しなくたって、立派に働いているじゃないか、と言ってやったことがありません。
子供はいないけれど、お前にぴったりの優しい奥さんがいて良かったな、と言ってやったことがありません。
もういい歳だけれど、彼は親の顔色をうかがいながら生きています。おびえています。
彼は、ただの一度も、お前はそのままでいい子だと言われたことがないのです。
勉強がイマイチでも、一流企業で働いていなくても、子供がいなくても、お前はいい子だと言われたことも思われたこともないのです。
優しくてハンサムで長身でいろいろなことを知っていてそのままですごく魅力的だと思うよ、と私が言ったら…
彼は肩を震わせていました。
なぜありのままを愛してやれないのか。
彼のような悲劇が日本中にあるように思います。
2007-10-05
お刺身を釣ろうとする釣り人?
毎日通う道。
昨日も今日も通った道。
きっと明日もこの道を通って目的地に行くことでしょう。
目的地まで行けることになんの疑問もないでしょう。
新しいことを始めるとき。
自分にできるだろうかと心配になります。
人によっては心配どころか怖気づいて止めてしまうこともあるでしょう。
毎日通いなれた道。
もしかしたら、明日は通行中に大地震があるかもしれません。
運転中に心臓麻痺した車が突っ込んで来るかもしれません。
つまり、明日は目的地に行けないかもしれません。
なのに、そんなバカなと思うでしょう。そんなことが起きるわけがないと。
一方の新しいことを始めることについては、なぜか出来ない理由が頭に浮かぶ。
いつもの目的地に行けることも新しいことができないことも、どちらも根拠はないのです。
ただ、「行けないかもしれない」中に「行ける」があるし、「できないかもしれない」中に「できる」があるのは確かです。
だから、自信がないという前提で自信がないままやってみればよいのです。
歩けば空気抵抗が発生してしまうわけです。空気抵抗を嫌がると歩けないのです。
可能性とか楽しみとか幸せとか、それらはみんな何かの中にあるのです。
海でお刺身を釣る?
いや、魚しかいないのです。
つまり、今日言いたかったことは、人生はとにかくグチャグチャしているってことです。
2007-10-04
あなたを癒す
たとえ話です。
食卓に奥さんの作ったカレーライスが上がったとしましょう。
さあ、今夜の食事はカレーライスか?というお話です。
他人との日々のかかわりの中で、他人の発した言葉や態度に一喜一憂するものです。
しかし、もしかしたらあなたは他人の表面に惑わされて余計な気遣い、気苦労をしているのかもしれません。
食卓にカレーライスが上がった。
ああカレーライスだと思えば思えてしまうのです。
しかし、
カレーライス?カレーライスは作るのが比較的簡単だ。もしかして妻(作ってくれた人)は疲れているのではないか?
と思うこともできるということです。
問いただしたら、やっぱり疲れていた。ならば一見カレーライスに見えるカレーライスが実は疲れであるということです。
キレる子供、不機嫌な夫、子供をかわいがらない母親、借金、DV、ギャンブル…。一見そう見えるのですが、実は何なのでしょう?
カレーライスが疲れに見えれば、おいしい!という一言をかけてあげたくなるのではないでしょうか。
後片付けは私がするからあなたは休んでね、と言ってあげられるのではないでしょうか。
カレーライスを作った人は、簡単な料理で自らをいたわりました。
しかし、あなたから寄せられた関心が、あなたが気付いてくれたことが、簡単な料理以上に疲れを癒したかもしれません。
表面にかくれたものを見抜くとき、あなたは余計な不安から開放され癒され、同時に相手を癒すことになるかもしれません。
2007-10-03
挨拶することがイヤ
近所の人と朝顔を合わせることがあります。
その日の気分によっては、挨拶したくないと思うこともあるでしょう。
そんなとき、ついやってしまうのが…
「お願いだから家に引っ込んで!」
「なんでいつもそこで立ち話してるのよ!他でやってよ!」
という具合に相手を責めること。
問題はあなた自身のことなのに、他者に意識が行ってしまう。
自分のことを他者のことにしてしまう。
そこからおかしくなっていきます。
挨拶したくない日は、
「ああ、今朝は挨拶したくない」
と自覚することです。
今朝は挨拶したくないと自分を認めてあげて、それでも社交上挨拶するならすることです。
2007-10-02
迷惑をかけないために…という間違い
他人に迷惑がかからないようにということで何でも自分でやる人がいます。
ところがなんでもかんでも自分でやることで「冷たさ」になることがあります。
他人に迷惑がかからないようにと思っていることが、実は他人に嫌われたくないという自分の欲望だったりします。
あなたが手がかからないことは、相手にしたら寂しいことかもしれません。
あえて他人に甘えてみたり、ちょっと迷惑かなと思えることを頼んでみたり。
そういうことで親しみがわくものです。
深い仲の人には、わざと迷惑かけてみるのも、絆を深める機会となります。
2007-10-02
自分って何?
仮に、
Aさん、年収100万円。
Bさん、年収1000万円。返済900万円。
Cさん、年収1000万円。返済なし。
あなたがAさんならAさんとして生きる。BさんならBさんとして生きる。CさんならCさんとしていきる。
ただそれだけです。
AさんがCさんになろうとすることと、AさんがCさんのように年収1000円を稼ごうとすることは違います。
AさんはBさんにもCさんにもなれません。
あなたはあなたとして、どうなりたいですか?
2007-10-01
子供が心配か?
自分自身の心を正確に把握するにはよほどの注意が必要です。
あなたはお子さんのことが心配ですか?
子供が心配だという親はどこにでもいるものです。
しかし、子供に何かあったら私(親自身の心)が困るという意味で子供が心配だと言う親が少なくありません。
こういう気持ちは正確に把握しないと親子関係はゆがみます。
例えば、子供に対して
「勉強できるようにならないと困るでしょ!ちゃんと勉強しなさい!」
と言いながら
正確には
「あなたが勉強できないことで将来困ったら、困っているあなたの姿を見ているお母さんが困るのよ!」
と言うべきであり自覚すべきなのです。
実はこのことが自覚できる親なら、子供に勉強させるために別の言い方ができるのです。
いや、別の言い方をする以前に、この子は何に興味があるのだろう?と関心を示すことでしょう。
ガミガミ言う親に限って、子供の望みなど全然知らないのです。全部親の頭の中の世界で完結してるだけです。
子供が心配?いや、あなたの心が不安なだけなのでは?
そこを点検する心を持っていたいものです。
2007-10-01
なかなか会えない
なかなか会えない事情の二人。
どうしようもない事情で会いたくてもなかなか会えない。
なかなか会えない中に味を見つける。
なかなか会えない私達なんだと認めること。
唯一絶対のあなたとパートナー。
あなたの境遇の中に味わいを見つける。
どうにもならないこと、それがあなたです。