2008-02-28
帰巣本能(きそうほんのう)
帰巣本能とは、家に帰ろうと思うだけで、意識しないで家に帰れる本能のことです。
あの道を通って、あそこで曲がって…なんていちいち考えなくても無意識に家に帰れるものです。
家に帰ろうと思ったときに、絶対に家に帰り着くであろうことがありありと想像できているわけです。
後は、意識しなくても自然に家に着きます。
反対に、うすうすダメだと思うことは、うまくいきません。
無意識にうまくいかないことを実現するからです。
結果とは、なにかの結果なのではなく、実は最初から決まっているのです。
そこに必ずたどり着くと最初からわかっているから、あとはゴールにたどり着くためのつじつま合わせなのです。
途中のコースはどこでもいいのです。
なぜなら、行き着くと決まっているのですから。
帰巣本能のレベルです。
あなたもあなたの人生を考えるとき、帰巣本能レベルで結末がありありと予測できることを選択してみるとよいのです。
無理なことは、無理なのです。
別の言い方をするなら、無理なことは、あなたがすることではないのです。
やらなくていいのです。
帰巣本能レベルでやれることをやっているか、点検する価値はあります。
2008-02-24
同じレベルだとなぜダメか
悩みごとについて考えるとき、悩みごととは違うレベルに自分を置くことが必要です。
それはなぜかと言うと。
たとえば、右手の指を切ったとします。
左手で消毒したり、テープを貼ったりするわけです。
右手に対して左手という同じレベルでなんとかしようとするものです。
しかし、本当は右手と左手に共通な頭脳を介してなにかしているのです。
頭脳から右手と左手が見えるわけです。
昨日の話の、月から地球のあなたを見るようなものです。
手という同じレベルを脱して、頭脳から両手を見おろすわけです。
右手を切ったなら、せっかく頭脳から見おろしているなら、どうせなら早く治りそうな食品を食べるとか痛み止めを飲むとか、手にはできない発想をしてみることです。
それがレベルの違うところから考えるということです。
右手と左手は直接接していなくて、右手→右肘→右肩→首→左肩→左肘→左手とつながっています。
この場合、首が、右手と左手の共通点なので、この共通点からの視点で悩みを考えることが必要なのです。
日常でいざこざがあった場合、当事者同士が競り合うのは賢くありません。
共通点である、警察とか上司とかに頼んだ方が賢かったりします。
車の運転でカッとするのは同じレベルだからです。
車の運転で「共通点」は何でしょう?
目的地に行こうとしたその気持ちです。
つまり、目的地に行ければそれでよかったのだと気付くことで、カッとする必要がないことに気付いたりすればよいのです。
「共通点」とは昨日の話の「月」みたいなものです。
ちょっとレベルを変えてみる。
それだけでずいぶん救われます。
2008-02-23
月からあなたを見る
生きていれば悩みは付き物です。
とは言え、悩みがあっては本来のあなたの実力が発揮されません。
どうしたらこの悩みから開放されるのだろう。
きっとそう願うことでしょう。
そんなときは、悩みとは違うレベルにあなた自身を置いてみることです。
意地悪なあの人から逃れたい。
そうであるならば、まずあなたは月面から地球のあなたを見るイメージをしてみることです。
地球には全てのものがあるわけです。
あなたは悩んでいるかもしれない。
しかし、幸せそうな人もいるのです。
静かな草原や草を食べている牛の姿もあります。
つまり、いろいろな場所があるのです。
広い地球の全ての場所の中から、よりによって意地悪な人といっしょにいるあなたの姿を見て下さい。
月にいるあなたが、地球の好きな場所に降り立つことができるなら、どこに降りますか?
悩んでいるならば、悩みのことを考える前に月に行って地球を眺めましょう。
全てが見える場所に行きましょう。
悩みそのものを見ることは、同じレベルにいることです。
同じレベルにいると、悩みしか見えません。
だからレベルを変えるのです。
月に行けば地球の全てが見えるのです。
2008-02-16
空(くう)より全(ぜん)
色即是空の空の話です。
すべては空であり、空はすべてである。
そのような意味合いで空という言葉が使われます。
この空という言葉が難しいように思います。
そこで私は、全(ぜん)という言葉を使いたいと思います。
あれもこれも、あなたもそれ以外の人も、なにもかも全部含んだ究極の一つのものを全と表現します。
宇宙全体を一望できるポイントに行ったとします。
そこでは大きな宇宙全体が見渡せます。
しかし、ちょっと待った!です。
一望できるポイントにいるあなたは宇宙の一部であるはずです。
ですから、あなたは宇宙の内側にいなければなりません。
つまり、宇宙を一望できるポイントにいることは実は不可能なのです。
それは、こういうことです。
なにも宇宙の果てまで行かなくても体感できるのです。
あなたはそこにいるだけで、全を体感できるのです。
「あなたは自分の目を見ることは一生ない」ということです。
「あなたはあなたの顔を直に見ることは絶対ない」ということです。
目の前の一滴の水も、広大な宇宙も、両方いっぺんに呼べる呼び方。
それが「全」です。
2008-02-10
いやがらせに困っている人
人間関係のあるところに、いやがらせはつきものです。
不幸にしていやがらせの対象になってしまったあなたへ。
あなたにいやがらせをする人(以下、加害者)は、根本的に対象があなたでなくてもいいということを知って下さい。
加害者は、あなたにいやがらせをしないと身がもたない不安からいやがらせをしているのです。
つまり、いやがらせさえできれば、対象はあなたでなくてもいいのです。
加害者となる人は、現実を見ていません。
加害者の頭の中の世界に住んでいるのです。
あなたは、なぜ私を狙うの?と何度も何度も考えているでしょう。
しかし、考えても答えは出ません。
なぜなら、理由は加害者の勝手な世界にあるからです。
加害者は極度の自己中心性を持っています。
あなたは、できるだけ物理的な距離を置くことです。
できるだけ接触しないことです。
できるだけと言うより、避けて避けて避けまくることです。
物理的にあなたに触れられない加害者は身がもちません。
すがりつく対象を探し始めます。
すがりつく対象を探している最中にあなたは加害者の視界に入らないことです。
加害者は不安な気持ちから、新たな対象を探します。
そして、あなた以外のターゲットを得ます。
それまで、あなたは物理的な距離を置くことです。
2008-02-09
気疲れする人へ
ある出来事に対して、あなたは何らかの感情を抱きます。
よい感情ならば気にもとめないことですが、悪い感情を抱いたならば、あなたは穏やかではいられないでしょう。
今回は、このやっかいな感情の扱い方についてのお話です。
たとえば、あなたが人ごみにいるとします。
誰かにいつも見られていると感じませんか。
誰かに見られていると感じていては疲れてしまいますね。
そこで、落ち着ける場所でお試し下さい。
紙とペンを用意して下さい。
まずは、状況を簡単に書いてみましょう。
・人ごみにいる。
・後ろを歩いている人が私を見ているような気がする。
つづいて、その状況であなたが感じたことを書いてみましょう。
・なんだか見られているようで落ち着けない。
・自分は別に変じゃない、等々自己点検ばかりしている。
・なんでこんな気持ちになるのかわからず疲れる。
そんな感じに、状況と感情を書いてみましょう。
次に、他人になったつもりで、あなたが書いたことを読み返して下さい。
そして、出来事に対して抱いた感情の合理的根拠を探してみて下さい。
後ろの人が自分を見ているような気がする、合理的根拠はなんだろうかと。
きっとあなたは気付くはずです。
合理的根拠はなにも無いということに。
後ろの人が自分を見ているという合理的根拠が無かったと気づくと、前述の
・なんだか見られているようで落ち着けない。
・自分は別に変じゃない、等々自己点検ばかりしている。
・なんでこんな気持ちになるのかわからず疲れる。
これらの感情を抱くこと自体も合理的ではないことに気付きます。
そこで、今度は別のことを考えてみましょう。
今度も根拠はいりません。
・後ろの人は私を見ていない。
・誰も私を見ている人はいない。
・私は街の通行人になんの関心もない。だから他人も私に関心なんかあるわけがない。
・仮に私を見ている人がいたら、その人は私に見とれているのだ。私は魅力的なのだ。
そんな調子で根拠の無いことを創作しましょう。
出来上がった集合写真だって、あなたは自分の顔しか見ないでしょう。
他人になんか関心はないのです。
ということは、あなたを見ている人なんていないのです。
わかりましたか?
まだ取り越し苦労しますか?
しませんよね?
そんな暇があったら、別のストーリーを創作しましょう。