あなたは車の運転をしますか?
通勤で満員電車に乗りますか?
どちらもいやな気分になることがありませんか?
つい、ブツブツ言いたくなることがありますか?
車の運転や電車に乗ることの前提条件をちょっと変えてみる。
例えば、車の運転をすれば、必ず後ろからあおるやつがいるものだ。ノロノロしている人がいるものだ。必ずいやな気分になるものだと最初から思っておくのです。
今日はどんないやな思いがするのだろう?と積極的に待ち受けるのです。
満員電車も同じように、蒸し暑い、窮屈、臭い、押されるものだと最初からはっきり思っておくのです。
つまり、今日こそは気持ちよく運転するぞ、気持ちよく通勤するぞ、とは思わないようにするのです。
逆にどんな失礼なやつに遭遇するのだ?と、失礼なやつを探すようにするのです。
恋人、夫婦、職場の人、友人、知人、さまざまな人間関係があり、どれもわずらわしく、面倒くさく、白か黒かで割り切れず…なのです。
ですからそういうわずらわしさ、面倒臭さ、割り切れないことを最初から基準にして考えるのです。
人間関係に悩んで、人との接触を避けて生活するのも一つの方法です。
しかし、逆にどんないやなことが待っているのだろう?体験してみよう!とあえて飛び込んでみるのです。
いやな事が次から次へと押し寄せてくるでしょう。
そうしたら、よーし来たな!と受けて立ってみるのです。
なにもいちいちきれいに解決しなくていい。
ドロドロを感じるのです。うわ〜私は今ドロドロだと認識すると言うか味わうのです。
そのこと自体が答えだったりするのです。
イエスかノーかではなく、なんだかわからない混沌を立派な答えだと思ってしまうのです。
人間関係とは、わずらわしい面倒くさい割り切れないから、すっきりさせない面倒でなくなるようにしない割り切らないようにするのです。
なんだかわからないドロドロとした混沌の中にこそ人間関係の醍醐味があるのです。
何か結果を得るのではなく、過程そのもの、ドロドロの中にいること自体に、味があり醍醐味があるのだと思うことなのです。
解決策なんて一生無いかもしれない。だから解決策を探していること自体に生きてみるのです。