愛情のような本能的欲求が満たされていない場合、無意識に愛情を求めてしまうものです。
仕事などの社会的活動とは、自分が満たされてはじめて他人のために何かしようという意欲によるものです。
ところが、現実の社会では、ある年齢になると自動的に社会人になっていかなければいけないような風潮になっています。
学業を終えると、誰もが社会に出ていきます。
社会に出たときに、愛情が満たされ自分を十分に愛している人は他人のために尽くすことができます。
一方、本能的に必要な愛情を十分に受けられずに生きてきた人は、自分の内部の葛藤を解決するためにほとんどのエネルギーを使い果たしてしまいます。
とても他人のためになにかをしようとは思えないのです。
他人のためになにかするどころではないのに、社会常識的に他人のためになにかをしなければならない。
つまりは、自分を偽って、無理をして社会生活をすることになります。
自分にウソをつき続けるのですから、いずれ破綻してしまいます。
スタート地点の前で疲れている人は、なぜ自分はなにかをする前に疲れてしまうのか探求してみるとよいでしょう。
あなたがすでに忘れてしまった、遠い昔の本能的要求がまだ満たされていないことに気付くのではないでしょうか。
社会の中には、スタート地点の前で疲れている人がたくさんいるはずです。
そういう人にスポットを当てて、そういう人が満たされる場が必要だと思います。
そういう人のために、なにかできたらなと、私は思っています。