昨日は午前中から夕方まで仕事をして、メール鑑定の依頼も含めて売り上げがそこそこになったので一休みすることにして明日までやっている香林坊の大和の北海道展へまた足を運びました。大和に着いてみるともう閉店間際・・お目当てのロイズの生チョコは全部売り切れていて、仕方がないので塩生キャラメルとアスパラガスを買いました。今日は北海道展、最後の日なので、午前中に足を運んで絶対に生チョコを手に入れるつもりでしたが、朝起きるのが遅くなってしまい、午後からも対面鑑定の予約が3件入っているので行けそうにありません。残念です・・北海道にも今年の夏は行ってみたいけれど、昨日、金沢から沖縄へUターンしたクライアントさんと沖縄の話をしていてやっぱり夏の沖縄にも惹かれるなと迷っています。
ちょっと昔は自分は孤独な仕事をしているな、心がとても寂しくなるな・・と辛くなることが時々あったのですが、この頃は気持ちも前より明るくなり、とても心穏やかに過ごせています。「先生の能力が羨ましい」とお客様に言われることも度々ありますし、他の同業者の方を鑑定することもありますが、自分は色々な意味で恵まれている、幸運なのだと感じることもしばしばあります・・しかし、、前までは自分は誰よりも孤独なのだと感じていてかなり心が苦しく悩んだりすることもありました。友達を作るのも難しいと感じることも良くありましたしね。私の生活は仕事中心の毎日で人と遊びに出かけたりすることも殆どなく、週末やお盆、お正月に帰れる実家も実質ありません。生まれた町にも長い間帰っていませんし、そういう人生をとても寂しいと感じていたこともありました。しかし今日も悩んでいる見知らぬ人からの電話やメールがあり、その方たちの苦しみや迷い、孤独を少しでも和らげ、楽になってもらったり、前に進むことを助ける、私にしか出来ない仕事が神様から与えられているのだと考えるようになりました。私は生きていてもいい、生きていくべきなのだと思えるようになり、前より少し強くなったかもしれません。
秋葉原通り魔事件の加藤容疑者が親に「これからはお前のことは見捨てて弟に力を入れていく」と言われた、というエピソードが取り上げられていますが、実は私にも全く同じことが何度かありました。彼のしたことには絶対に肯定できませんが、絶望する気持ちは一部は分かります。親が力を入れると言った私の兄弟は結局、就職も自立も出来ず、幼い頃から兄弟よりも後回しにされ、挫折もして最後には見捨てられた私が人生を逆転したのですが、長い間心の中で家族を恨んでしまい怒りの気持ちと許すべきだという考えが葛藤し、家族とは何度も和解と決裂を繰り返しました。しかしいつのまにか私が逃げ出した幾つかの鑑定会社同様に家族も私のことを人間ではなくお金を生み出す道具としてしか見なくなっていたのです。困っているときには殆ど連絡が来なかったのに、仕事が上向きになっていくと売上を毎日執拗に電話で尋ねてくる肉親を私は受け入れることは出来ませんでした。悲しいことだとは思っていますが、甘えたり頼ることが出来る優しい親のところに生まれていたら、意志の弱い私は自分の力で生きていけるようにはなれなかったかもしれません。きっと必然というか私に必要な試練だったのでしょう。だから今では自分の生まれた環境にこだわったり、悲しんだり、恨んではいません。これからも出来ることをして生きていくだけです。
誰とでも友達になれるとか友達が多いという人が羨ましかったときもありましたが、今はプライベートで寂しいからといって余り警戒せず人に甘えたり、寄りかかるようなことはしないでおこうと冷静に考えています。職業柄、親しくなり、友達関係になると「無料鑑定」を無意識に期待されてしまうことが時折あります。難しくない話なら「ま、それ位いいか」かもしれませんが、内容が深刻で簡単に解決するようなことではなく、真剣に、継続的にアドバイスをするのなら無料ではちょっと受け止めきれない・・・というパターンが割とあります。相手に「鑑定になるようなことは無料では出来ない」と伝えたら、向こうから自然に離れていった場合もありますし、何か悩みがあると「食事をしよう」と声を何度かかけてきて世間話の中で無料相談に持っていこうというつもりだったらしい地元の方もいました(ちなみに食事などはご馳走はしてもらっていません、泣きついてこられて携帯の電話代もこちらで持って話をしたことはありますが、お礼すらも言われず答えが望んでいる回答ではなかったので不満そうな反応をされただけでしたね)。同業でも一般の方でも個人的に仲良くなり代金の話はしないで相談に乗ってあげたことは何回かあるのですが、深刻な難しい悩みが多いので、私もマイナスの気を沢山受けたりするような内容のこともありましたし、結局お金を使わないで相手の気持ちなどの答えが聞きたいだけなので、アドバイスは無視され(自分のしたいようにしていたように見えました)状況は良くならないことが多く、ときには逆に悪くなったり・・それでまた無料で相談に乗ってくれないかと連絡が来る(鑑定として頼むとは大抵言わないです)という繰り返しになりそうなところで私が負担に感じ、最終的に付き合いが終わるということが今まで何回かありました。そういうことで人付き合いに悩んだことは少なくありませんでした。
占いの仕事は一応プロとして看板を出していても副業だったり、お金をもらわずに鑑定の練習だと思って知り合いには無料でやってあげているアマチュアに近く、実益が余り出ないけれど趣味的な感覚でやっている方も多いですから、私もそうなのかと誤解して気楽に頼んでくる人もいるのかもしれませんが、私はこれ一本で生計を立てていますし、れっきとした本業です。元手は余りかかっていませんが、売り上げから少なくない額の税金や保険料も収めていますし、大手の鑑定会社で厳しく教育され、それなりに経験を積み、独立した今も真剣に仕事をしております。鑑定のクオリティーも低くはないつもりですから「友達だから」と自分は無料でやってくれるかなと土足で忍び寄ってこられるのはこちらも正直シンドイですね。もしお店とかを経営していて知り合いが時々来てお金を払わずに「いいよね」と品物を持ち帰られたりしたら今後の付き合いは考えると思うのです。それと同じことなんじゃないかと思います。
なるべくきちんと線引きをして雑談や世間話はするけれど真剣な相談があるときは代金を払うからと言って鑑定を頼んで下さる親しい方たち(私もお世話になったと思えば御礼はしております)とは良い関係が続いていますが、ちゃんとプロに相談したいときは代金をきちんと払うという気持ちがある人が実際人生が良くなってるんじゃないかなと今までの経験で思っております。言われなくても自然に人に気を使えたり、相手を大事に出来る人はやはり何かと周りからも引き立てられ、困ってもどこかから必ず助けられるのではないかな??甘えられて無料でやってあげた人は鑑定結果も大切にしてくれなかったかなとも思っていますし、損得は抜きでも後でやってあげて良かったと思ったことは余り記憶にないです(占い知恵袋は例外なので分かりません)。恋愛なども知っている限りでは殆ど悪い結果で終わっています。お互いのためにならないのでそういうことはもうしたくないですね。現在はちょっと誰かと仲良くなって「電話してもいいよ」「メールするね」と言われても慎重に相手を見定めたほうがいいなと感じております。それでも余り孤独だとか寂しいとは感じなくなったので前よりは自己コントロールが出来るようになってきたのかもしれないです。
自分が変わってきたのは京都の東寺を訪ねてからでしょうか。目に見えない不思議な大きな存在が私の傍で常に「大丈夫だよ」とささやいてくれるのを感じ、自分は一人ぼっちだとは殆ど思わなくなったのです。不安を感じることも減りました。パワースポット、スピリチュアルスポットに行くのは嫌いではないのですが、その効能については余り実感したことはなかったのですが、東寺に関してはすごいと思っています。不思議な場所ですね。また迷ったら訪ねるつもりです。