毎週近所の天然温泉へと出かけるのを習慣としています。仕事がら精神と肉体に疲労をためないように努めています。自分の気が落ちていては、ご相談者を励ますこともアドバイスすることもできないと考えているからです。
自分の人生の充実がなければアドバイスにも説得力がなくなってしまいますので、まずは自分の人生を楽しみ満喫して充実させたいとも思っています。
さて、先日もいつものように屋外の温泉にゆったりと浸かっていた時です。屋外に置いてある長椅子に横たわって寝ていた人が、椅子から突然、滑り落ちたのです。
温泉に浸かっている人達の目の前で起きた出来事だったので、視界に飛び込んできたような状況でした。
このような突然の出来事に遭遇してみると、何もできないものなのですね・・・。ただただ、ビックリして体が硬直するばかりでした。そんな中、勇敢な方がいるもので、素早く駆け寄り、倒れた女性を介抱して声をかけている方がいらっしゃったのです。倒れた女性は怪我もない様子で、笑顔でお礼を言いながら、再び長椅子に寝そべったのです。何事もなかったかのようでした。
さきほど駆けよった女性が戻ってきたので、「こんな時て、意外と何もできないものなんですね・・・それなのに、素早く走り寄って介抱するなんてスゴイですね〜」などとその場に居合わせたメンバーでおしゃべりをしたのでした。
と、その時「あっ!やっぱり、あの人オカシイわよ」と女性が叫ぶのと同時に、長椅子に寝そべっていた女性が再び軽く痙攣したように体をゆさぶりながら、今度は顔面から地面に落ちてしまったのです。その瞬間、顔面から血が!
次の瞬間、二人の女性が駆け寄りました。流血している女性は反応がありません。これは脳溢血なのではないか?と周囲に緊張が走りました。
すぐさま従業員の方に救急車を呼んでもらったのですが、状況が飲み込めないフロントの女性が電話を抱えながらお風呂場へとやってきました。
このあたりでやっと思考が働くようになり、一部始終を見ていた私は、女性の怪我よりも脳溢血のおそれがあることを説明。
倒れた女性は相変わらず気を失ったまま・・・女性たちが必死に「しっかりして」と呼び掛けても反応がありません。バスタオルをかけて見守るなか、幸い女性は意識を取り戻し、自力で救急車に乗り込むと病院へと向かいました。
このような緊急事態に遭遇してみたら、以外と何もできず・・・体が動かないものなのだ・・・と知りました。咄嗟に動けることもあるのでしょうが、今回の場合は体が固まってしまって、ただただ立ち竦むばかりでした。
この経験を通して遠い過去の記憶がよみがえってきました。
実は私の母はアメリカ在住中に突然脳溢血で倒れて帰らぬ人となってしまったのです。
母は毎週教会へ通うのを習慣としていたのですが、その日も一人でバスに乗り教会へと出向いていたのです。けれど、突然教会で倒れたまま意識をなくしてしまい、救急車で運ばれたのですが脳内出血がひどく、結局数日後に亡くなったのです。
その当時私は、アメリカ陸軍に所属していてジョージア州で寮生活を送っていたのです。母が倒れた知らせが届いたのは日曜日の昼だったのですが、あいにく私は友人たちとショッピングモールへ出かけていて寮に戻ったのは夕方、その後連絡ミスもあり、ようやく知らされたのは夜のことだったのです。
けれど、予感はあったのです。前日の夜、「頭が割れそうに痛い」と夢で母が言っていたのです。目覚めてからも気になっていたのですが、友人に誘われるままショッピングモールへと出かけていたのでした。
家族が住む町へ帰るにも飛行機で6〜9時間かかります。国内線は小型機な上に、乗継をするので、海外へ行くよりも時間がかかり不便なのです。
そのため、飛行機を手配するにも翌日まで動けず、飛行機を乗り継いでようやく病院へと向かったのでした。
母が通っていたのはアメリカの小さな日本人の集う教会だったため、英語ができる人があまりいなかったようでした。知識も乏しかったようで、救急車を呼ぶ前に、「お宅のお母さんが突然倒れたんですが、どうしましょう?」と電話をかけてきたようでした。家族がすぐに救急車を手配し、病院へと駆け付けたのですが、母が乗った救急車はなかなか到着しなかったと言います。そのような状況があり、母が亡くなった当初は、その場に居合わせた人たちの対処について疑問を感じたものでした。
けれど、今回の経験で、立ちすくんで何もできないことがある・・ということを理解できたような気がしたのです。百聞は一見にしかずと言いますが、経験することで初めて理解できることが人生にはたくさんあるのかも知れない・・・そうなふうに考えられる機会を与えられたように思えたのでした。