131293.jpg(Y-tube)
http://www.youtube.com/watch?v=g5fdLADSMbY&feature=g-upl

ゲイの哀歓を歌った、シャルル・アズナヴールの名曲です。

淡々としながらも説得力のある戸川昌子の歌唱は、圧巻・お見事!!です。
数あるこの曲の、日本語カバーバージョンの中では最高の出来でしょう。

なかにし礼の書き下ろし訳詩は、もはや文学です。


本を読んで泣く事など殆ど(てか全く)ない私ですが、この本は例外で、不覚にも大泣きしてしまいました。

死んで初めて、自由に空高く羽ばたいた、朱鷺のキンちゃん・・・
死んで初めて、開放されたキンちゃんの魂。

死は終わりではなく、始まりなのかもしれません・・・・
もう、涙滂沱でした。

余談ですが、この本を車内で読んでいた知人、感極まりこれ又涙滂沱、きまり悪さに途中下車してしまったそうです。

読書の秋に誘われて、ふと思い出した一冊です。

【送料無料】朱鷺のキンちゃん空を飛ぶ

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価格:1,050円(税込、送料別)

被災された皆様に、心からお見舞いを申し上げます。

今年も桜が咲き始めました。
冬がどんなに厳しくても、芽吹いて花は開きます。
空がどんなに曇っていても、雲の向こうは真っ青な青空です。
sakura1.jpg

なので皆様、この悲しみ苦しさの向こうには、明るく確かな未来が待っている事を忘れないでください。

生きる希望を持ち続けて下さい。
貴方が出来る範囲の方法で、生き抜いてください。

生きる事は、助け合う事、労わり合う事、手をつなぐ事です。
そこから、貴方のお役目と未来が見えて来るのです。

今こそ、雲の向こうの青空を目指して、頑張ってください!

ありったけの心を込めて、応援のパワーを送ります!!

83584.jpgもう何年も前、嘗て自分のHPに書いた記事、あらためて読んでみました。
恥ずかしながら、再度掲載したくなり、書き込みます。
初心帰りです。

<宅間守>
「池田小学校事件の犯人です。
この様な惨い事が出来る人間の宿命は一体どうなっているのか、予てから気になっていました。
宅間と同じ生年月日に生まれた人は沢山いて宅間だけがこの事件を起こしたのは何故か?
占いでどの位解明できるのか、占ってみました。

一番最初に言っておきます。
人は生まれ持った宿命通りに生きられれば、何の矛盾もありません。
運気は上がり、満足な人生を送れます。
宿命と環境のズレが本人を苦しめるのです。
そのズレの大小で運不運が決まります。
宅間はそのズレの最も大きな例のひとつです。

宅間の宿命の特徴は精神の星が多く、精神性(知性、感性、自己表現度)が非常に高い事。
(ここが、フラストレーションになって切れると、宅間の場合無理心中することもある)
自らの夢に向かって、努力すればかなりな成功を収められる宿命だという事。
国家資格や高学歴はその手段として適切だったという事。
人間関係では、母方の祖母との関係を大切にする事。
最も距離を置くべきは、父方の祖母。
これは、あまり薦めらえれない生き方ですが、宅間のもう一つの選択肢として残る、影の部分の方法です。
それは、26才〜36才の間に腹をくくって、所謂「裏家業」に入る事。
これらをキチッとクリアーしていればあの惨劇は起きなかったでしょう。

宅間は、精神性が高い宿命なので、先ずは現実面よりも精神を優先しなければならなかったのです。
この宿命は非常に頭が良いので、宅間は学者、作家、詩人、クリエーター、アーティスト等の
知性、感性を生かした仕事に向かった努力をすべきでした。
しかし、本人も、周囲の環境もその方向にありませんでした。
母親は「兄と弟(宅間)とは出来が違うで」といって宅間の教育には無理解でした。
名門池田中学に進学を希望した時も母親は、
「そんなん通るはずがないのに、受けるだけ無駄や」と言って突き放したそうです。
宅間はその時、勉学努力をする事を止めてしまったのでしょう。
自らの夢を描く芽もそこで摘んで(摘まれて)しまったようです。
宅間の中の精神性の星は未消化のままどんどん膨れ上がり、歪んでいきました。
消化されない星は、本来持っている表の意味と反対の出方をします。
歪んだ自己表現である暴力、残忍さ、感性が歪みすぐ切れる、知性の歪みの悪知恵等、
その反動は反社会的な行動となって顕れます。
宅間が異常に学歴、資格に拘ったというのは、
無意識のうちにその未消化部分(資格、教育を手段にする事)を欲したからだと思われます。

生年月日は同じでも、親や環境は全員違います。
教育に理解のある親許で育ったり、本人が目標を持つことによって、逆境をバネにして努力を惜しまなかったならば、
この宿命は又違った方向に動いていたかもしれません。

人間関係では、幸運に繋がる、母方の祖母とは全く縁が無かったようで、
代わりに、最も避けなければいけない父方の祖母とベッタリでした。
「僕は、この世で一番好きな人は、おばあさんだ・・・」と反省文に書く程でした。

将来の夢も持てず、精神性(知性・感性・自己表現性)過多の人間がそれをまともに使わず、
現実的な仕事、頭を使わない仕事ばかりを思いつきで転々としていると、
出口を塞がれた精神は袋の鼠状態になってはけ口を求めあがきます。
かといって、そのような仕事をするための努力もせず、環境を変えようともせず、
忌神ともいうべき祖母しか、心の支えは無く、
影の選択肢である「裏家業」(入っていたら、親分か大幹部くらいにはなっていた筈)に飛び込む度胸も持ち合わせず、
鬱々と世の中を怨んで暮らしていれば爆発するのは時間の問題でした。
ここまで宿命から外れてしまうと、元には戻れません。

犯行のあった2001年は、宅間にとって溜まりに溜まった未使用の精神の星が後天運によって膨れ上がり、
加えてその状態に針をさす星が回って来た時でした。
正常な使われ方をしていなかった宿命の星は、一気に噴出しました。
本来の宿命の持つ意味とは全く反対の反社会的な形で爆発したのです。
切れてしまった時、ここだけは宿命通リ、周囲を巻き込んだ殺傷事件を起こします。
犯行後「死刑にしてくれ」と言ったそうですが、あれは本音だと思われます。
そういう意味で、充分正気でした。(*刑は既に執行されています)
何故被害者が児童だったか・・・。
精神の星は子供の星でもあったのが、暗示的です。

結論として、人は持って生まれた宿命通りに生きれば良いと言うことです。
かといって、100%宿命通りに生きられる人などいません。
宿命は代えられませんが、生き方、環境は選ぶ事が出来るのです。
自分らしく生きる環境を切り開いていくのは、自分自身なのですから。」
以上でした。

皆、お役目があるから生まれてきたのです。
この世に必要のない人などは存在しないのですから・・・


松山市コミュニティーセンター入り口ホールの床に出現した、巨大な歌碑。
(3階から撮影)
DSCF1179s.jpg

(詳細はここで)
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20100909-OYO1T00521.htm?from=main4

新井満さんが松山市のために書き下ろした歌、「この街で」の歌碑。
自筆の原稿用紙を拡大したものが、センターの床にはめ込まれた。

あまりの大きさに、写真の全景は3階からでなければ写せない。
1,2階からでは端が欠けてしまうのだ。

DSCF1192s.jpg
(1階から撮影)

DSCF1181s.jpg
(2階から撮影)

いろんな歌碑を見てきたが、これにはビックリ!!

昔、大きい事はいい事だ・・・という歌があったが、まさにそう歌いたくなる作品。

噂によると、危機のカップルもこの歌碑の上でツーショット 写真を撮ると、歌碑に書かれた言葉のパワーで、関係が修復されるとか・・・嘘かまことか、いずれにしても試してみる価値はありそうです。

しかし、やるもんだわ、松山市も・・・・

85287.jpg先月の強風で根元から折れてしまった、鎌倉鶴岡八幡宮、樹齢800年の大銀杏の残りの根元から新芽が出たそうです。

何と素晴らしい事でしょう!
自然の生命力は計り知れません。

銀杏が折れてしまったニュースを聞いた時には、何か嫌な予感がしたのですが、今思うと、それは一つの役目の終わりを暗示していたのかもしれません。

800年の間、幾多の動乱の歴史を見てきた大銀杏は、まためぐってきたこの動乱期にあえてドスン!と倒れる事によって、次の時代に再生の夢を託したのではないでしょうか。

「私は静かに見守るしかなかったが、これからは君達が新しい芽を出し幹を作り、大きな美しい木にしてくれ」そう言っている様な気がします。

大銀杏に一粒の麦が重なって見えました。

85271.jpgお花見ももう終盤ですが、沢山の人がお花見に集いました。
桜の下には人が沢山座って、楽しく盛り上がっていましたね。
座っていたのは、勿論地面の上です。

五行で言えば、地面は土です。
人や草花は皆土の上で生きています。
人が集う所、それは土の上です。

人の宿命でも土の気の方は、その性質を持っています。
どんな人も拒まず場所を提供する心。
そう、お花見の桜の木の下の地面と同じなのです。

気さくで、ざっくばらん、誰でも暖かく受け入れる、そういう人になる事が、土の気の方の、お役目なのです。
そうする事で、その人は見事な花を咲かせ、その周囲には人が集まり、その人の人生を輝かせる事が出来るのです。

お花見の目的は、只観桜だけではなく、土の上で人と集い、楽しむ事でもあります。
なので、それは土の方の生き方をも示唆しているのです。

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84595.jpgチーは野犬でした。
どうしてそうなったのかはわかりません。
家に来た時、前歯が全て切られていました。
ボランティアさんからの説明はありませんでしたが、後でその訳がわかりました。
咬む子だったのです。
でも、返したり出来ませんでした。
一日でも縁ができた以上、とてもそんな事は出来ません。

野犬時代に虐められ、追い立てられ、飲まず食わずで、人目を避け隠れ怯えて、さすらっていたのです。
野犬に責任はありません、そうしたのは、私達人間なのですから。
「チーが悪いんじゃないよ・・・」、噛まれる度に、そう思いました。

そんなチーも時間と共に、すっかり家の子になり、14年生きて家人に見守られ、風になりました。
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今でもチーの事を思うと、咬まれた痛さも、愛しく思い出されます。

ありがとうチー!会えなくなって淋しいよ!!

84580.jpg「私は今まで嫌いな人に会った事がない」
これは、淀川長治さんの言葉です。

そうです、それって、裏を返せば、
「自分がイヤだと思っている人は、相手もそう思っている」という事。
つまり、自分が相手を好きなら、相手も心を返してくれる・・って言う事ですよね。
だから、淀川さんは、皆に愛されたのです。

けれど、実行はなかなか大変です。
だったら、せめて少しでもそう思えるために、
相手の良い所を一つでも多く見つける努力からはじめましょう。