中村倫也主演ドラマ『美食探偵』というのがある。東村アキコの漫画をドラマ化したものだが、単純なストーリーなので老若男女楽しめる。
この中で、小池栄子扮する殺人鬼"マグダラのマリヤ"が、探偵・明智五郎を翻弄する。
名探偵というよりも、迷探偵という感じがしないでもない。
もともと、マグダラのマリヤは新約聖書に登場する女性で、イエス・キリストの愛によって、罪から解放される。
正教会、カトリック教会などでは"聖人"扱いされる。
彼女の偉大なところは、誰よりも命をかけてイエス・キリストを愛したという一点である。
人間的にどんなに人格者に見えても、神の子を否定したときから、その人は"無神論者"であり、永遠の世界において天国へ入ることは出来ない。
反対に、過去にどんな罪を犯したとしても、深く懺悔すれば赦しを受けられる。
「わたしは真面目に生きてきた」とか「多くの人のために尽くしてきた」とか、自身を誇るものは、自分が正しいと思い、罪を認められないので、贖罪を受けることはできないし、天国へは入れない。
このマリヤは、ある意味"女性の鑑"である。
罪が深いがゆえに、イエス・キリストの純粋な姿に接して自身の醜さを恥じ、「私は死んで当然です」という境地に入っていくことができた。
十字架上で右側の強盗が懺悔してイエス・キリストを受け入れたのも同様だ。彼は「罪を犯したのだから死んで当然」と思い、悔い改めることができた。
その罪を告白した姿をイエス・キリストは受け入れられて、ともに楽園に入ることを許諾された。
イエス・キリストは言われた「悔い改めよ、天国は近づいた」と。
悔い改め(懺悔)が不要な人間は、誰一人として存在しない。
釈尊が聖人になり得たのは、深く懺悔できたからに他ならない。彼は悪事を働いたので懺悔したわけではない。
自分の中に潜む罪を発見したのだ。
悔い改めることが天国に行くための第一歩である。
どんなに聖書に精通していても、悔い改めることは容易ではない。
正義感の塊のような顔をして他人の悪事を裁くような輩は、暗い低級霊界へ行くしかない。
律法学者、パリサイ人がそうであった。
自身の醜さ(罪)を謙虚にみつめ、悔い改めることができなければ、永遠に天国は来ない。