こんにちは。

いつもありがとうございます。

人が苦しい理由は、依存しているから、ということをひとつ前で書きました。

なぜなら、自分で何もせずに、他人にどうにかしてもらおうと思っている限り、

いつも期待を裏切られます。

他人は自分の思い通りに動いてくれるはずありません。

何もいわなくても察してくれるわけはありません。

それを、コントールしようとして、強制したり、暴力に訴えると

必ず嫌われて、他人は離れていくでしょう。

当たり前の結果です。

そもそも、他人は自分のために存在しているのではないのです。。

そして他人に依存している人は、被害者意識でもあります。

被害者意識の強い人というのは、

人に被害を受けたと感じている人(被害を受けたという解釈)

そして人になんとかしてもらおうとしているひと(依存)

悪いことはなんでも人のせいにしている人ということです。(他責思考)

他人をわるものにせず、

自分の出来ることは自分で行い、

自分の責任で選択行動し、

他人をあたり前に当てにしないほど、人は幸せになります。

当てにしないからこそ、感謝できます。

(本当は自分でなんとかすべきなのに、助けてくれてありがとう)と

なんでもしてもらって当然

(ちょっとあなた、私をなんとかするの当然でしょ!なんで助けないのよ!怒)

どちらが愛されるでしょう。

人が何かしてくれることを期待する心は、満足することを知りません。

これをしてクレナイ、あれをしてクレナイ、と思う心は、あっという間に不平不満に陥っていくでしょう。

感謝がないところには、もっともっと欲しい、、という強欲だけが残ります。

そこには救いはありません。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

今日は、依存し続けているといつまでも苦しいですよ、というお話です。

人には人生のステージでいうと、

依存→自立→相互依存 という順序があるのだそうです。

この、依存というのは、

誰かに頼らないとやっていけない状態です。

なんなら、全部私のかわりにやってちょうだい! という赤ちゃんの状態です。

自分のことを非力だと思っているので、

何か悪いことがあっても他人のせい です。

よい状態になるのにも、他人がやってくれて当然、

なんで私を助けてくれないの!(怒 という状態です。

ここには、自己責任という感覚はまったくありません。

また感謝もありません。

依存は、被害者意識を呼びます。

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ただし、もっと広い意味でいうと、

私たちが日々、誰かのせいで傷ついた、不利益を被った、とよく感じている状態、

これも依存だと思います。

幸せのために~ あなたが傷つかなくなるためには - 沙以☆ 幸せな人生のために (uranaiblog.net)

誰かをワルモノにして、私は傷ついたと言っている状態

これも日常的によくある状態です。

相手が力があり、自分は非力という構図を作ると、あっという間に被害者になります。

本当の癒し、解決は、主体的、自己責任、自立の意識から

傷ついたと感じているとき、自分の中で何が起こっているのか向いあうことで

起こります。

依存が悪いというわけではないのです。。

ただそれをやっていると、いつまでも苦しいですよ、ということです。

自立(自力)の範囲が広ければ、広いほど、人生は自分次第でどうにでもなります。

何か問題が起こったとき、すぐすべてを相手のせいにせず、

この状況で、自分でなんとかできる部分は何だろう、

自分の中のなにがこの状態を引き起こしたのだろう、と考えてみること。

そこに解決の糸口があると思います。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

お盆ですね~

ご家族で集まっているご家庭も多いのではと思います。

今年も無事で集まれてよかったと思ったり。

飲んだり食べたり、話したり笑ったり

楽しい時間を過ごされているでしょうか。

さて、今日は 幸せの条件 についてです。

え? 何それって感じですよね。

最近の私のブログもなんだかややこしいことを書いているのですが、、

原点にかえりたいと思います。

幸せの条件?それは、、、

そんなもの、ありません!

別の言い方をすると、幸せ と思うのに条件をたくさんつけていればいるほど、

幸せを感じることから遠ざかってしまうと思います。

自分の価値は、これこれを達成していないと認められない、とか

自分がこの世に存在するには、これこれを満たしていないといけないとか、、

そんなものは、本来ありません。

幸せ、なんて言葉を考える必要もないです。

動物は、よけいなことを考えません悩みません。

将来のこととか、過去に起こったことを、(普通は)悩みません。

普通に呼吸ができて、食べるものがあって、睡眠できて、寝る場所があって、、

それでいいのです。

それさえないこともあります。

災害のときは、私たちは、生きててよかった、無事でよかった、

と喜ぶことがありますが、

普段の生活の中ではそういう感覚を忘れてしまいます。

生きていられるだけでも大変な恵みです。

衣食住が足りているのに、悩みをわざわざ作り出すのは人間だけです。

苦しまなくてもいいことで苦しむのも人間だけです。

もっとシンプルに、

生きていること、食べること、眠ること、いる人は、家族や友人がいること、

そこをしみじみ楽しみましょう。

時間は有限です。

苦しんでいるうちに、人生が終わってしまいますよ。

幸せに条件をつけない人、

少ないもので幸せを感じられる人が、

一番幸せに生きられます。

楽しい休日になりますように!

こんにちは。

いつもありがとうございます。

今日は、傷つくということについて、、

私たちは、傷つくことがあります。

例えば、物理的に刃物が当たって身体が切れて傷つくとき

強い暴力的なエネルギーで、エネルギー体が傷つくとき

これらは、物理的な傷つき です。

ですが、心が傷つく というときは違います。

本当に傷つけているのは、外側の誰かではなく

自分が自分を傷つけています。

心が傷つくとき、誰か加害者がいて、傷つけられるのだと

私も昔はずっと思っていました。

誰かの言葉に傷ついた と感じたときなどです。

ですが、

確かに、傷つく ということは一瞬で起こるので、

相手が傷つけたように感じるのですが、

正確に言うと、自分の解釈で自分を傷つけています。

たとえば、

誰かが○○と言ったとします。

そのとき、瞬間的に その○○の言葉に対しての反応として

(私は価値がない) などと解釈していませんか?

あるいは

(私は愛されない) 

(私はだめだ)

(私は死んだほうがいい)

(私はひとりぼっち)

(私はわかってもらえない)

などなど、、

一瞬の間に、自己否定を、自分にしていませんか?

あまりに瞬間的なので、相手が自分を傷つけたように感じてしまいますが、

本当に起こっていることを、みてみると、、

、、、何が起こっていますか?

これは、相手の言葉に 怒りを覚える ときも同じです。

悲しくなるときも、寂しくなるときも、同じです。

感情が発生するとき、そこには、必ず、

(自分がつけた意味付け) があります。

相手が自分を傷つけた 相手が悪い!!

と思ってしまうのも、本当に無理もないこととは思うのですが、

(私も長年そうしてきたので)

自分がつけた意味付けがなければ、

相手の言葉は、ただの言葉の羅列

または、ただ相手の意見 でしかなくなります。

相手がどんな意見をもとうと相手の勝手なのです。

そこに影響される必要はありません。

本当のことを言えば、

誰かが何を言おうと、

あなたの絶対的な価値が傷つくことはありません。

あなたが、自分で自分を傷つけない限りは。

自分をよくよく 観察してみてください。

何が 起こっていましたか?

こんにちは。

いつもありがとうございます。

今朝は夏らしい爽やかな朝です。

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

前の記事で、様々な禁止令のビリーフを紹介しましたが、

何よりも大切な基本のき としてどうしてもお伝えしたいのが、

自己肯定感 

です。

これがないから、自己否定があるから、様々な禁止令を身に着けるともいえます。

自己肯定感 というのは、誰かと比べて優れているから肯定できる、というものでは

ありません。(優越感とは全く違います)

ありのままの自分に無条件にOKを出せているか、ということです。

何かが出来る、出来ないは関係ありません。

まわりは関係ありません。自分だけで完結するものです。

自己肯定感、自己信頼感、自尊心、自己受容感、、 など、似た言葉はあり、

厳密にいうと違う意味になるかもしれませんが、

ありのままの自分は価値がある、この世に存在していていい

と思えて、感じられているかどうか、

ということです。

生まれてきたばかりの赤ちゃんは、そこにいるだけで肯定され、祝福されていますよね?

あなたは寝たきりで無力だから価値がありません! なんて言われません。

ありのままで愛される

誰しもそれを望んでいると思いますが、これを自分が自分に対して

行うことです。

これがないと

愛されるために、認められるために、条件を満たすためにがんばらなくてはいけません。

いえ、がんばるのはいいのですが、

ベースに自己肯定感がなければ、すぐに

自己否定 

に悩まされることになるでしょう。

要は

だめな自分ごと自分を認める

ということです。

自己肯定感に関して、最近知り合いに渡された本でとてもよいものがありましたので、紹介します。

タイトルからすると、会社員向けの本と思われがちですが、

自己肯定感についてとてもわかりやすく書かれていて、おすすめです。

こんにちは。

いつもありがとうございます!

今年は本当に暑い日が続きます。皆様どうぞご自愛くださいませ。

ところで、

人は、自分で自分の人生の脚本を作っている、ということをきいたことがありますか?

人は、子供のころに知らずに身につけてしまった、人生のシナリオに沿って
生きていると言われています。
自分で自分に制限をかけたり、駆り立てて、生きづらくしてしまっているのですが、
それを手放すには、まず自分がどんな思い込みをもっているのか知らなければいけません。
交流分析(1950年代に精神科医エリックバーンによって提唱された心理学)の中に
24または25の禁止令というものがあります。
これは有名なので、交流分析 禁止令 で検索すれば細かく色々出てきます。
なぜ占いに心理学? と思われるかもしれませんが、運命のうち、変えられるものと、変えられないものがありますが、
変えられることに関しては、ここに注目することは大切だからです。
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~してはいけない、という制限の思い込み
◆ 生存に関する禁止令
1 存在するな
2 重要であるな
3 健康であるな
4 正気であるな
5 信頼するな
6 触れるな


◆ 人間関係に関する禁止令
7 近づくな
8 属するな
9 子供であるな
10 欲しがるな
11 愛着を感じるな
12 関わるな


◆ 自己に関する禁止令
13 お前であるな
14 離れるな
15 見えるな
16 するな(自分の人生を生きるな)


◆ 能力に関する禁止令
17 成功を感じるな
18 成し遂げるな
19 成長するな
20 考えるな

◆ 能力に関する禁止令
21 楽しむな
22 感謝するな
23 感じるな
24 くつろぐな
25 人生を共にするな
 
    
これに、
~しなければならない、という駆り立てる思い込み(ドライバー)が組み合わされます。
  1. 完璧でなければいけない
  2. もっと努力しなければいけない
  3. 人を喜ばせなければいけない
  4. もっとはやくしないといけない
  5. 強くあらねばいけない

たとえば、、、

自分は完璧でなければ、存在していてはいけない。

努力しない自分は、価値がない(重要でない)。

自分は、人を喜ばせることが出来なければ、ここに所属してはいけない。

自分はもっと完璧(優秀)でなければ、価値がない。

などなど、、

その人によって違う思い込みがあると思います。

それがあることに気づいて、それを手放し、

違う選択をすることが人生の脚本を変えることになります。

たとえば、

自分は価値がない という思い込みがある人が、その思い込み(人生脚本)の中で

何をどうがんばっても、ほら、私はやっぱり価値がないんだ、、

という結論を再確認するだけです。

そもそも、自分は価値がない→自分は価値がある

というように、前提からひっくりかえさないといけないのです。

なんとなくわかりますでしょうか。。

思い込みというのは、真実ではないのです。

誰かにそう思わされた、思ってしまった、ひとつのレッテルでしかないのです。

変えられます。

私も自分で自分のことを調べてみて、もう納得するしかありませんでした。

ああ、こういう思い込みがあったから、だから今までこういうことが続いていたのだな、と

もうぐうの音もないほど、納得しました(笑

また書きます。

皆様、いつもありがとうございます。

去年の年末にご挨拶はしましたが、前回ブログを書いてからなんと一年以上たってしまいました。。

さて、先日何気なくテレビをつけていましたら、

シャーデンフロイデ という言葉を耳にしました。

まだちゃんと理解していないので、本を購入して勉強しなければ、、と思っていますが、

シャーデンフロイデ というのは、

自分が手を下すことなく、他者が不幸、悲しみ、苦しみ、失敗に見舞われたときに生じる、喜び、嬉しさといった快い感情

のことだそうです。(ウィキペディアより)

なんだか嫌な感じですが、なんとこれは、誰の中にもあり、

社会にとってよくない人、不当に利益を得ている人から、

社会全体を守るために必要な感情でもある

という側面ももっているということです。

誰かを引きずり下ろしたい、という感情ですが、

社会的にはそういうプラスの側面もあるということなのですね。

ですが、個人に対してのシャーデンフロイデは、

他人の不幸を喜ぶ、単なる妬みから発生している可能性が高いと思われます。

これに対し、

シャーデンマッハ― という言葉もあるそうで、

これは、ある意味一線を越えてしまっていて、

他人を不幸に貶める(おとしめる)行為を実際にしてしまう人

をさすそうです。

これはもう、闇落ち、になってしまいます。。

似た言葉の、

妬み、嫉み、僻み、もまたそれぞれ厳密に言うと、意味が違うそうですが、

本人が幸せでないことだけは確かだと思います。

私が、わざわざこのブログを、幸せのために~ としているのは、

どちらかと言ったら、幸せな人が増えた方が全体のためにもいいのでは、

という思いで書いていますが、

幸せな人をねたんだり、引きずり下ろしたい、という思いの人がいるとしたら、

誰かが幸せそうに見えることでの、妬み、嫉み、僻みが発生してしまうなら、

それはもう救いようがないということになってしまいます。

そういう意味でとても残念だなと思います。

ただ、よく勘違いされますが、幸せと成功は、全然違う意味なのです。

成功、というのは、物理的に恵まれた状態や、実績などをさすと思いますが、

幸せ、というのは、気分 の問題だと私は思っています。

私のブログは、成功のため、ではないです。

成功していても、幸せでない人はたくさんいますし、

何不自由なく暮らしていても、幸せを感じられない人もいます。

社会的に成功していなくても、幸せな人もいます。

よく、発展途上国の子供たちの写真をみると、

物理的にはとてもひどい状態にいるにもかかわらず、

目がキラキラしていたりしますが、

幸せとは、もちろん必要な衣食住が足りていたら、

その方がより幸せを感じやすいかもしれませんが、

ひとことで言ってしまえば、

心の中に 希望 があるかないか、ということだと思います。

どんな状況の中でも、希望を失わない、光をみつける、

という心の状態があれば、

その人は幸せの種を自分の中にもっているといえます。

あるものに、感謝できる心かもしれません。

光があれば、たとえ一時、妬みの感情に苛まれたとしても、

それをうまく使って、自分を向上させる方向に努力することもできるはずです。

シャーデンマッハー とは、その対極にある心の状態と思いますし、

それが癖になっているとしたら、とても不幸な人なのだろうと思います。

皆様、今年も一年、本当にありがとうございました。

早いもので、今年も最後の日になってしまいました。

しばらくブログを放置していてすみません。

皆様、今年はどんな年でしたでしょうか。。

私事ですが、今年は身内の不幸もあり、その後の整理にかなり労力をとられてしまいっておりました。

とはいえ、かなり社会勉強する機会もあり、経験値が上がった年でした。

今後の鑑定にも活かしていきたいと思います。

皆様にとって来年が素晴らしい年になりますよう、心からお祈りしております。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

ロシアのウクライナ侵略が長引いてしまって、気がかりな方も多いと思います。

今日のお題は、嫉妬と戦争の関係です。

はじめに、ちょっと面白い切り口の動画を見つけたので、ご紹介します。

プーチンなぜ戦争を起こしたか★感情の側面から解剖すると見えてくる人間関係の秘密 - YouTube

兄弟間の嫉妬という切り口から、プーチンが戦争をはじめた理由をのべています。

もちろん他にもいろんな理由はあるかもしれませんが、人の心理としてはわかりやすいです。

負けたと思って怒って相手を攻撃する、そういうことは戦争という規模でなくても、

普段の人間関係でもあると思います。

ただ、それもひとつの切り口で相手と比べてみているだけです。

嫉妬するのは、自分が負けたと思っている側の方で、負けたままではいられないので、

相手を攻撃したくなるのかもしれませんが、

嫉妬している側にも優れた面、恵まれている面はたくさんあるわけです。

嫉妬している側も、「勝っている」面はあるわけです。

それがあることをきちんと認識することで、嫉妬の気持ちは起きにくくなるでしょう。

仮にうらやましいと思っている相手の能力や成功、幸せがあるとしても、

影でどれほどの努力や苦労の上に成り立っているのか、想像することができれば、

簡単に嫉妬は生じないでしょう。

嫉妬は争いのもとで、するほうもされる方も、不幸になります。

たとえ、嫉妬する方が力で相手をたたきつぶせたとしても、

未来では重大なカルマが待っています。幸せになるのに、自分に遠回りをさせてしまいます。

それに、相手をつぶしたところで、自分は本当に幸せになれるものでしょうか?

本人の成長が止まって進化できなくなってしまいます。嫉妬している状態も苦しいはずです。

カトリックの聖書には

★「悪魔の定義は、自分と他人を比べて、自分にはなくて、他人がもっているものをほしがること」

という記述があるそうです。

嫉妬することで、簡単に魔界の方に引っ張られてしまうのですね。

★世の中の諸悪の根源は、嫉妬心

では神様に喜ばれるのは?

★「嫉妬心がまったくなくて、いつでも他人の幸せや才能や優れた能力を自分のことのように

素直に喜べる人」ということです。

★人間のゴールは嫉妬心をなくすこと

もちろんゴールというのは、なかなかたどり着けない目標ということですので、

少しずつそこに近づいていければよいのだと思います。

そもそも、どうして相手に勝つ必要があるのか、どうして比べてしまうのか、

その心を見つめた方がよいかもしれません。

※後半の★の言葉は『神様に愛されたら、幸せな奇跡が起こりだす』ブルーシャ西村 著

から引用しています。この本もとてもおすすめです。

★嫉妬心が人間からなくなれば、世の中は平和になります。

私もそう思います。

こんにちは。

いつもありがとうございます。

ちょっと読み物として、軽くご紹介です。

アメリカのデヴィット・R・ホーキング博士によると、人の意識レベルには17段階あり、

それは筋反射テストにより、科学的に測定できるそうです。

意識レベルによって、ものごとをどう捉えるのかは全く違ってくるといいます。

(詳しくは、著書「パワーか、フォースか 人間のレベルを測る科学」をお読みください)

また体から出るエネルギー量に、意識レベルは影響を与えるということらしいです。

意識レベル パワーの数値 感情
1 悟り 10の70~100乗 言語を超えたもの
2 平和 10の60乗 至福
3 喜び 10の54乗 平穏
4 愛 10の50乗 尊敬
5 理性 10の40乗 理解
6 包含 10の35乗 許し
7 意欲 10の31乗 楽天的
8 中立 10の25乗 信頼
9 勇気 10の20乗 肯定 ▲プラスレベル
10 プライド 10の17.5乗 軽蔑 ▼マイナスレベル
11 怒り 10の15乗 憎しみ
12 欲求 10の12.5乗 渇望
13 恐怖 10の10乗 不安 アトピーや皮膚炎
14 悲しみ 10の7.5乗 後悔
15 無感動 10の5乗 絶望 うつやパニック障害などのメンタル系の病気
16 罪悪感 10の3乗 非難 ガンや膠原病などの難病
17 恥 10の2乗 屈辱、惨め 自殺を考えはじめる

ひとつ前の記事のゆるしは、レベル6になりますね。

自分も他人も、起きた出来事をすべて許す、受け入れる。受容ですね。

レベル5の理性だと、自分にも他人にも出来事にも、いい、悪いの解釈なく、

ありのまま受け入れる という状態のようです。思いこみに左右されなくなっていく。

意識レベル8~1になると、病気が消えていくそうです。(右欄の病名については、梯谷幸司氏によるもの)

免疫をあげるという意味でも、意識レベルをあげるのはいいですね。

また、プラスにいくほど、物事はうまくいきやすくなり、

マイナスにいくほど、頑張ってもうまくいきにくくなるようです。

各段階によって、見える世界、体験する世界が変わっていくといいます。

楽しみですね。

☆追記

探求したい方のために、、

よく考えている方がいました。

自分の本音がわかる?「17段階の意識レベル理論」を詳しく解説しました | とにかき。 (tonikaki.net)