幸せのために〜愛と勘違いしていること

こんにちは。
いつもありがとうございます。

この世には、愛に関わる問題がたくさんあります。
ですが、本当に愛であるならば、何も問題は起きないのです。
問題が起きているのならば、それは愛と思っているだけで、実は他のものである場合があります。

たとえば、、
自分は誰かを愛しているつもりでも、相手に苦しみを与える行為をしている場合があります。
相手のことを考えず、思いこみや、執着である場合。
また、愛しているといいつつも、それは実は自分が何かもらいたいという取引の場合があります。
非常に容易く、愛でないものが、愛としてすりかわって扱われてしまうことがあります。

波動を読めば、その人が本当に相手の幸せに関心があるのか、あるいは、自分の幸せに関心があるのか(相手から何かもらえることに関心があるのか)の違いは感じ取ることができます。

たとえば、恋愛において悲しんでいるとしても、自分のエゴのために悲しんでいるのか、相手のために心を痛めているのかでは、意味がまったく違ってきます。
ですから、感情が強かったり、苦しみが大きいから強く愛しているとは限らないのです。
悩みが強いのは、単に悩み癖がある場合もあります。
それを愛と勘違いしている方も多くいます。
また、多く傷つくから愛が強いというわけでもありません。

愛していると言いながら、相手を利用するのは、最も卑劣なやり方ですが、
案外多くの方がやってしまっていることです。

また、真実の愛が100パーセントという方も、滅多にいません。
なにかしら不純物が混ざりこんでいることも多いのです。

それでも、確かに言えることは、もしあなたの愛している相手がだんだん力を失い弱っていくようなら、あなたは実は愛しているのではなくて、相手を利用している可能性があります。
また、相手を自分の都合のよいように動かしたい、というのは、もちろん全く愛とは別ものです。

愛であれば、自分をコントロールできる力も兼ね備えようとするでしょう。
なぜなら、相手に配慮のない強い感情は自分も相手も滅ぼすことがあるからです。

愛は本当に試金石です。