幸せのために〜愛することは常に正しい

こんにちは。
いつもありがとうございます。

前の記事で、パートナーがいるにもかかわらず、愛情を感じる人に出会うこともある、ということを書きました。
ご相談でも、そういう内容のことがよくあります。

そこで、自分の感情を抑圧したり、無理にあきらめたりすることが多いようですが、
それをすると、とても苦しいことになります。
愛されることをあきらめるより、愛することをせきとめる方が何倍も人は苦しいのではないでしょうか。
それは人の本来の性質に反することだからだと思います。

これは、私の持論で、正解かわかりませんが、
私は愛することは常に正しいと思っています。
問題は、その愛し方です。

パートナーがいる人に対して、または自分にパートナーがいる場合、または恋愛等の事情が許されない人に対して、
きちんと配慮が出来るような愛し方をすれば、何の問題も生じません。

愛することをやめるのではなくて、その愛の質を変容させる、ということです。
たとえば、あえてかかわらないようなやり方をすることが最善にあたる場合は、それも愛です。また、何も恋愛という形をとらなくても、有形無形の形でサポートし合うことも十分可能です。
何かを教える、遠くから見守る、ときに必要なら突き放す、あえて関係を断つ、それもまた配慮の元で行われるのなら、愛の形です。

そういった相手への配慮がなく、思いこみや自分の感情だけで暴走するような場合が、ストーカーにあたるのでしょうか。

理想であれば、誰もがお互いに思いやりをもち、調和して愛情をもつひとつの共同体のような世界になればいいのかもしれませんが、そう考えない人も多い中では、今出来る最善と思える方法を探すのが大人の配慮でしょう。
愛を思いやりに変えることが出来れば、すべての人にとって何の問題もありません。

愛が問題になるのは、独占や束縛、執着など、愛以外の要素が強くなってしまったときです。
愛は、どこにでもある、呼吸している空気や水や食べ物、あたりまえにこの世に満ちている恵みのようでもあり、独占したり、所有することも出来ないものだと私は(個人的に)思っています。

もうすぐクリスマスですね。

誰もがあたたかく迎えられ、祝福されるような、そんな世界をかいまみられるシーズンです。
皆様、よいクリスマスをお迎えください。