こんにちは。
いつもありがとうございます。
いつも「幸せのために」という題でかいているのですが、幸せというとなんだか大げさかもと思うこともあります。
私が言うのは、安らかさ、平和、穏やかさ、リラックス、静かな満ち足りた気持ち、、、そんなニュアンスで使っていることが多いです。
よくスピリチュアル系のアドバイスで「今ここにいなさい」というメッセージが出ることがあります。
抽象的かな?と思われがちですが、実のところこれはすごいことで、
「今ここに100パーセントいる」ことが出来れば、おそらく人間のかなりの悩み苦しみというのはなくなってしまうことでしょう。
悩み、苦しみの多くは、過去を受け入れられなかったり、未来を心配していることからきています。
そんなときは、今ここで、目の前で起きていることに対してはうわの空になっています。
あるいは、「ここ」から離れて、どこか遠くのことで心や頭を悩ませているかもしれません。
でも過去も、未来も、また遠くのことも、すべて頭の中の想像(妄想?)に過ぎません。
今していることに、きちんと意識を集中しているとき、悩みというのはありません。
ただ、今ここですることに、丁寧に向き合っているだけです。
今ここでしていることが、その人のするべき目的になっているとき、そこに集中しているとき、とてもよい状態になっていることがあります。
何より、今ここにきちんといることは、楽しいです。
私たちは、実際にはかなりの時間をうわの空ですごしています。
コーヒーを飲みながら、仕事の心配をし、テレビのグルメ番組を見ながら、食事をしています。今ここ から気を散らす要素は、たくさんあります。
また、ある目的のためだけに、毎日を過ごしている場合もあります。
ある目的の到達点があって、それを達成するまでは不幸だけれども我慢我慢、、そういう過ごし方ですと、人生のほとんどの時間を苦しく過ごすことになります。
そして、到達点というのは、果たして来るのでしょうか。
未来があるとして、その未来の時点も、そのときになってみれば「今」でしかないのに、、
今をきちんと、味わいましょう。
目標があるにしろ、そこに向かうプロセス自体も楽しみましょう。
多くを手に入れて、他から見たら成功者であっても、実際にはとても不幸な気持ちで過ごしている人もいます。
その人は何のために多くを手にしているのでしょう。
何かをもっともっと手に入れたいと思うのも、終わりのない欠乏感からきていることがあります。
また未来を過度に心配するのも、恐れですが、恐れというのは頭の中の妄想に過ぎません。
恐れ(妄想)で今ここにある恵みを味わえないとしたら、なんてもったいないことでしょう。
おいしいものを食べていても、不安で一杯だったら、味もよくわからないことでしょう。
豊かでありながら、不安(欠乏や恐れを感じている)であるならば、それは豊かと呼べるのでしょうか。
今ここの、幸せを犠牲にしてまで追求するのは、一体いつ、幸せになるためなのでしょうか。
人には様々な生き方や考え方があり、どんな選択をするのかは自由なことですが、無駄に苦しむことは減らした方がいいのでは(本人がそう望むならですが)と思うことがあるのです。
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