こんにちは。
いつもありがとうございます。
幸せのために、というテーマで書いていると、それは、勝ち負けとか成功というテーマとは違うなあ、と感じることがあります。
物事はどの面を体験するかの目的によって、対処法が違います。
幸せのために、というテーマの場合は、まずは苦しみの排除が前提ですから、仏教の教えと近くなってくるようにも感じます。
握っているものが少なければ少ないほど、苦しみは少なくなります。
たとえば、苦しみ。
苦しみを握っている?! そんな馬鹿なと思われる方もいるかもしれませんが、実際にはそういう人もいるのです。
人が苦しむとき、その人の思考パターンというものが現れます。
そのパターンに気がつける人は、わりと早くそこから抜けることができます。
パターンに気づかないと、癖で苦しみを長引かせてしまうこともあるかもしれません。
ですが、そういうこととは別に、何年も何年も同じような苦しみ方をしている場合、
実のところ、その人はそうしていたい、というケースもあります。
例えば何年もくよくよ悲しんでなにもしないような人。
これは、この方が居心地がよいのです。
人は惰性のままでいたいという性質もあります。
また、エゴは悲しみが大好きです。苦しみ=エゴを握っているとも言えるでしょう。
私も最初は悲しみは純粋なものだと思っていました。ですが、過度に悲しみに浸る人の中には
そういう自分に浸っている人もいることに気付きました。そういう人はナルシストに近いかもしれません。
もちろん、悲しむに値する出来事にあって悲しんでいる人もいらっしゃると思います。
私が言っているのは、好き好んで悲しむ人、あるいは悲しむことで人の関心を集めたいような人です。
このことに気付いてから、悲しむ人に無条件に同情するということはなくなりました。
そういう場合は、すごくシビアな目でみていますので、ご容赦ください。
もしあなたが苦しんでいるなら、そしてそれを望んでいないなら、苦しみから手を放せるか、
自分にたずねてみてください。
必ず、苦しみを遠ざける方法はあります。
まずは、苦しんでいたいのか、
そこから抜けたいのか、をはっきりさせることです。
コメント