こんにちは。
いつもありがとうございます。
今までも何回も取り上げたテーマだと思いますが、
たまたま、メールでのご相談において、「執着を手放しましょう」 というメッセージが続けて出たもので、そのことについて書いてみます。
このような場合、ご自身や相手や状況に強く執着していて、そのことが苦しみになっていることが多いです。
ここで、執着を手放しましょう、というのはもちろん正論なのですが、それができたらそもそも苦労してしない、、
という声が聞こえてきそうです。
そんなわけで、誰かに手放しましょう、と言われると逆にものすごく抵抗を感じてしまうものです。
必死にしがみついているものを、べりっ、、、と無理矢理はがされるような痛みも予見されます。
人は痛みは避けたがる傾向があります。
このような場合は、まず「抵抗を手放す」ことから始めるとよいようです。
執着を手放すことへの抵抗を手放す、ということでしょうか。
たまねぎの薄皮が一枚ずつむけるような、ほんの少しずつ、わからないくらいの変化を重ねていきます。
また、悲しみが強い方は、執着しているからこそ、その感情がわいてきます。
執着していないと失われる、という思いこみが関係していることもあります。
執着しないと願いが叶わないと思っている方もいます。
事実は、執着していると、はじめはよい関係であっても関係性が悪くなっていくことが多かったり、
また、願いごとも、あまりにも執着が強いとうまくいかなかったりします。
何より、精神衛生上、苦しいですね。
とらわれのない状態、
〜なってほしいけれども、結果にとらわれない、くらいの自由な気持ちの方が、
いろんなことに力を発揮しやすくもなります。
執着は、「よけいな力み」 なのです。
また、意外かもしれませんが、
人は執着されて快い、、ものではないことも頭に入れておきましょう。
強い執着は、相手の自由を奪うこともあります。
快い関係のためにも、執着を手放すことへの抵抗を減らしていくことから
はじめてはいかがでしょうか。
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