こんにちは。
いつもありがとうございます。
夕べは全国的に雪でしたね。雪は浄化の効果もあります。
クリスタルなどは、雪の中に置いておくだけでも浄化されます。
ぜひお試しください。
さて、日頃ご相談を受けていますと、現象としては、パートナーとの問題と思っていらしても
根っこは親との関係かな...と感じることがよくあります。
すごくざっくり言ってしまうと、やっぱり 親にちゃんと愛されていた気がしてしない ことが
根底にあったりします。
愛されていない。
または、自分好みに愛されていない。
認めてくれなかった。
愛されていなかったから、自分に自信がない。
満たされていない。
もっと悪いと、こんなひどいことをされた。
見捨てられた。
最悪、親に命を奪われかけた。
......
子供の勘違いで愛されないと思ってしまったこともあるでしょうし、
部分的に愛がない場面があったこともあるでしょう。
また本当に親に愛情がなかったり、愛と言う名でコントロールしたり、
実際に養育する能力がなかったケースもあるでしょう。
人間の愛は、実は十分でないことの方が多いのかもしれません。
それでも、
ここにいる、存在を許されている、というのもある意味愛です。
親はもしかして、適切に構ってくれなかったとしても、
ここにいていいよ、と宇宙に存在を許されている。
それも愛だと、私は思います。
親がくれなかった愛を、今度はパートナーに求め続けても、
パートナーは親ではありません。その渇望は、なかなか埋め合わせられることはないのです。
私は親に愛されなかった → でも、宇宙からはなんだかわからないけど、きっと存在していいと許されている。
だって、今ここにいるから。
親だって、そのことに一役かっています。生まれさせてくれたわけですから。
親が○○してくれなかった。○○されて嫌だった。 という過不足が、親にはちゃんとした愛がなかった、という
認識になるのはもっともです。
でも、親に求め続けるのがもし、無理なことだったら?
そもそも、親にそんな愛も能力もなかったら?
でも、そこでも絶望しなくていいんです。
親の愛が無理でも、私たちには存在させてもらっている、という基本的な愛は注がれているのですから。
これは、ものごとをどう認識するか、ということなのですが、認識を変えるだけでも、
たぶん気分がだいぶ違ってきます。
親にいろいろ求めるのが無理そうな人は、もう、そこは期待しないことにして
命を愛として感謝して受け取り、
あとは、自分で自分を満たしていこう、というのが大人の対応?です。
宇宙、神様にはちゃんと愛されていると思っていた方が、その後の人生で渇望感に苛まれることも減るでしょう。
そんな低い幸せで満足しろっていうのか? というご不満の声が聞こえてきそうですが、
いつもすごく高度なことを求め、それが手に入らないと気が済まない... というのでは
おそらく一生その人は満たされることはないでしょう。
根底は、存在させてもらっていることがすでに愛で、すでに幸せであり、
あとは、自分でこの命を自由に使って生きていくだけ。どうするかは自分の裁量にまかされている。
もちろん、高みを目指すのも、誰よりも豊かになるのも、自由です。
そうしないのも、また自由です。
脳科学者の中野信子さんが、人はもう生き延びているだけで生き物としては勝ち組であり、
成功していると言っていますが、私も基本はそうだと思います。
それ以上のことは、「おまけ」であるとも話しています。
人との優劣に悩んでいる方は、そう思ってみると、少し気楽になれるかもしれません。
個人的にですが、ないものをみて終わりなき渇望に苛まれるより、
もう存在している愛に気付いていく方が、好きな生き方です。
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