幸せのために〜幸せになれない病とは?

こんにちは。

いつもありがとうございます。

気がついたら、あっという間に桜も散り、新しい緑が芽吹く季節になりました。

元号が変わるにあたり、大きな新しい流れも来ていると感じる今日この頃です。

新しいことを始めたい方は、この流れにのっていくといいと思います。

さて、新しいことを始めるには、古いものをきちんと捨てなければなりません。

私がそろそろ、もう時代遅れだな... と感じているのは

人類にまだ色濃くある、被害者意識です。

私は被害者意識を、幸せになれない病と思っています。

最近、藍色シアンさん という方が被害者意識についてすごくシンプルにわかりやすく

書いているのを見つけました。気になる方、ブログを読んでみてください。とても参考になります。

被害者意識になると、ずっと苦しい思いを持ち続けることになるのですが、

シアンさんいわく、そもそもどうして被害者意識をもつのか?というと、

「私を優先してほしい」「私を大切にしてほしい」「私は悪くないと言ってほしい」

という3大欲求のためだというのです。

被害者になるということは、この欲求を "正当化" できるようになるということ。

つまり、

私を優先すべきでしょ、だって私は被害者なんだし

私を大切に扱うべきよね、だって私は被害者なんだから

だって私は悪くないはず、だって被害者なのよ

そう言うには、まず、被害者でいる必要がありますね。

では被害者になるには、どうしたらいいか?

→加害者を生み出せばいい

加害者は何でもいいそうです。例の3大欲求が満たされないと思ったとき、その相手や

状況を加害者にする。

被害者でいるためには、加害者が必要だということです。

そして、被害者意識でいると当然、ずっと苦しいわけですが、

加害者を許すわけにはいかない。

なぜなら、許したら、被害者でいられなくなるから。

......ここで、あれ? と思いませんか?

これだと、永遠に苦しい...のでは?

どうして被害者意識の人は、いつまでも苦しい状態を保持しているのだろう?

という謎がシアンさんのおかげでよくわかってきました。

「私を優先してほしい」「私を大切にしてほしい」「私は悪くないと言ってほしい」

これがあることは、決していけないことじゃないです。

ただ、これを他人に求めたくても、普通に言っても誰もきいてくれません。

だから被害者になって、他人に求めて、他人に満たしてもらう必要がある。

被害者でいることで、これを求める「当然の権利」 みたいなものができると思うのでしょうか。

興味深いことに

「私を優先してほしい」「私を大切にしてほしい」「私は悪くないと言ってほしい」

これは、目的は幸せになるためなはずです。

でも、絶対に、それは他人から満たしてもらわなければならない。

だから、自分が不幸で(被害者で)いなければならない。

私を満たさない相手や環境を許すわけにはいかない。

だから幸せになるわけにはいかない。

.........

ん?

ちょっと面倒くさいような......

だいたい、そんな大事にしてよ!って要求しなければいけない相手って、

そもそも、相手を大事にすることが上手にできないのでないでしょうか?

ちょっと効率が悪いような......

ここで

あーーー、自分で自分を満たした方がはやい! と思える人は、きっと被害者意識から抜けられます。

要は、

自分で自分を満たすことせずに、他人から満たしてもらうことにとらわれてませんか?

ということです。

被害者意識は、加害者をみつけて、被害者であることを主張し、他人を使って3大欲求を満たそうとすること。

そうだとしたら、

自分で自分を優先し

自分のことを自分で大切にし

自分のことを信じてあげること

自分で自分を満たすこと

それが出来たら、被害者意識でいる必要はありません。

3大欲求って、言い換えれば、愛してほしい、ってことですよね。

愛してほしいので、被害者でいる。

でも、その態度って、逆に愛されないんです。

私のことを愛しなさいよ! って命令する人ってどうでしょう?

要求ばかりの人の相手をずっとしていると疲れます。

それより、自分で自分を大切にし、愛し、満たしていること。

自分のことを一番よく知っているのは、自分です。

自分が自分を上手に満たしてあげること、に意識を向ければ

あなたは自由に、幸せに近づいていけることでしょう。

藍色シアンさん、ありがとうございました。