こんにちは。
いつもありがとうございます。
ふたつ前の記事で、悩みのおおもとは神からの分離感では、という内容を書き、
前の記事で、神からの愛をを感じてみては、、という意図の記事を書きました。
これでひとりでも、ふたりでも、何か感じてもらえればと思っていたのですが、
神との分離感にどっぷりつかっている人は、自己否定ワールドに住んでいるわけです。
やっぱりそこ(この世は神の恩寵の世界という認識)には至れないという人のために、
違った角度からのやり方を書きますね。
私たちは、なぜか様々な、でも共通している自己否定ビリーフを持っています。
何かが足りない。(不足感)
自分が悪い。(罪悪感)
自分はダメだ。(無価値観)
自分は弱い。(無力感)
自分はひとりぼっち。(孤独感)
すごく簡単にいうと、恐れです。
確かに、幼少時に両親との間に、こんなビリーフを持ってしまうような出来事はあるようです。
様々なセラピーでも、その記憶を思いだし、癒すという作業を行ないます。
でも、その記憶って、ものすごい数があるんです。
それでも、主要な記憶にアプローチすると、かなり今の自分が変わります。
だいたいの記憶の感情は、【ダメな自分】を【否定している】ものです。
ここで、
たいていの人は【ダメな自分】を【ダメだと思ってる】んですね。
え?
ダメなものはダメじゃん! ですか?
まあ、普通はそう思いがちですよね。
でも、そもそも【ダメでもいい】【ダメなのは当然】くらいに思ったら、どうでしょう?
そもそも、全能の? すべてがある? 神という集合体? に比べたら
どんな優秀な個人だって、神にかなうわけはないですよね。
たとえば、何か習い事を始めた子供の初心者が、自分のことをダメだダメだ、、、
と自己否定している図って想像できますか?
何言っているの! と思いませんか?
できなくて、当たり前ですよね。
それと同じように、
私たちは、どんなに逆立ちしたって、神には叶わないし
それが普通だし、そこから始めるしかないですよね。
だから、
【ダメだけど、それは当たり前】【ダメなのが、今の実力】
そして、大事なのは、
「じゃあ、これからどうする?」 という視点です。
これがないと、
自分はダメだ、、というビリーフがあるので、ダメな理由を永遠に探すだけのループに陥るのです。
ほら、○○だからダメだ。
失敗したから、やっぱりだめだ。
▽と比べるとやっぱりダメだ。
ちょっとがんばったけれど、また悪くなったからやっぱりダメだ。
ぐるぐるぐるぐる。。。
ほぼ自己否定の呪いです。
私たちは、
何かが足りないし、どこか悪いし、価値がないかもしれないし、弱くて、ひとりぼっちです。
だからどうしたァ!!!
そこから始めるしかないのです。
大事なのは、いつまでも、自己否定のうずに巻き込まれて、自分のダメさにひたっていることではなくて
ではどうしよう、と考えることです。
この違いがわかりますか?
自己否定って、自己憐ぴんに似ています。
自分のダメさをほとほと嘆いても、何もならないんです。
【自分はダメという呪いの沼】から、抜けられなくなるんです。
自分がダメなことを、まずは受け入れること。
自分がたいしたことないことを、受け入れること。
否定しているから、苦しいのです。
よし、ここからはじめるぞ、と謙虚に思えばいいだけです。
だいじょうぶ、世界の一番優秀な人だって、神には叶いません。
自分の未熟さを認めて、楽しんで体験していきましょう。
「じゃあ、これからどうする?」
これを楽しみましょう。
ダメだから、完璧じゃないから、
私たちは、色々な体験が出来て、変化していけるのです。
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