幸せのために〜その人と関わっている意味とは?

こんにちは。

いつもありがとうございます。

今日は人間関係について、、、書きます。

誰しも、いろんな方と関わっていると思いますが、

ところで、皆様はご自分がどうしてその相手と関わっているのか、考えたことがありますか?

(あくまでプライベートな関わりのことです)

私の経験上、なんだかいやだな、、と感じた人間関係というのは、

相手が私を「使って」自分の不安をどうにかしようとしたり、自分を満たそうとしていたとき、

だったように思います。そこに強制があったとき、尊厳や自由を奪われます。

え?そんなの当たり前じゃない、と思った方、^^;

それは「利用」です。愛ではありません。

たとえば、、

親が自分の機嫌の悪さを子供に当たり散らすのも、

親の虚栄心を満たすために、子供をエリートコース以外だめと追いつめるのも、

上司からのパワハラも、

女性や子供を性的に虐待するのも、

不安から恋人を思い通りに動かそうと束縛、支配するのも、

全部、自分の不安を相手を使って解消しようとしているだけです。

道具やモノ扱いということです。

本来、相手には相手の尊厳があり、自由意志があり

相手の人生は相手のものであるのですが、

自分が満たされていないと、つい相手を自分を満たす道具にしてしまうのです。

さらに、相手は自分を満たすべきだ、そこに疑いをもたないと暴力に近づいてきます。

相手はノーという権利もあるし、相手自身を大切にする権利ももちろんあるのです。

ちょっと極論をしますが、

相手を必要としない位になれないと、相手の尊厳や自由を尊重できるようになれません。

相手を必要としない位になってはじめて、相手を愛することができるのではと思います。

相手を愛しているとか、好きなんだ、と言っている人が、

自分のニーズのためにそう言っているとき、それは愛ではなくて

あくまでニーズ、なのです。

下手をすると、いじめる相手として必要、ということすらあります。

誰かをいじめることで、自分の無力感を紛らわすことが出来るということです。

親が満たしてくれなかった要素を当然のように、パートナーに埋めさせようとさせる人も多くいます。

とても微妙ですが、愛玩する対象として相手が必要という場合でさえ、自分の満足ためであり、そのときの相手は道具です。

よく、あなたが必要なんだ、、ということを愛と同義語としていることに疑問を感じます。

相手を使って、自分を幸せにしようとする考え方、、、一見よく行なわれていることですが、

相手への尊重がなければ、利用になってしまいます。

自分は相手を使って、何をしようとしているのか、その目的をよく見てみると

自分のことがよりわかるようになるのでは、と思います。

恐怖や不安で関わっているのか、愛から関わっているのかで、

同じ人間関係でも、起きてくることはまったく変わってしまうでしょう。