肉体の死、価値観の死

こんにちは。

いつもありがとうございます。

日々、いろんな悩みに触れているわけですが、

人の悩み事をとことんつきつめると、究極は二つの恐れになるのだそうです。

それは、

肉体の死。

自己価値の死。

肉体の死はわかりますよね?

では、自己価値の死って??

、、、、

私は価値がない と思うことですが、

これって、誰がそう思っているのでしょう?

仮にですが、

誰かにさんざん否定された、とします。そして嫌な気分になったとします。

でも、だから「自分は価値がない」わけではないのって、わかりますか?

そもそも、肯定するのも、否定するのも、他人の自由、勝手です。

もし、自分が自分のことを、「私は価値がある」としっかり思っていれば、

気にもならないのです。

自分が嫌な気分になるのは、どこかで「自分は価値がない」という考えに同意してしまっているからです。

また、他人に否定される=そんな私は価値がない という考えがある人は、苦しくなるでしょう。

でも、ポイントは、「自分が自分のことをどう思っているのか」ということです。

これってすごい朗報だと思いませんか?

自分の価値 が死ぬかどうかは、自分次第ということです。

自分の価値 を死なせたくなければ、自分が勝手に「私には価値がある」と思ってしまえばいいことです。

、、、、、

○○が出来なければ価値がない、とか

条件を付けているのも、自分自身です。

だったら、条件をつけないでみたらどうでしょう。

あとは、

肉体の死 ですが、

実際、死が苦しいのではなく、

死に苦しい「意味」をつけているから、苦しみがうまれます。

意味をつけているのは、やはり自分です。

もちろん、生理的に苦しい状態、というものはあるでしょう。

でも、それ以外の苦しみは、自分次第でかなり減らすことが出来るものです。