水子の供養

お寺さん又は霊能者の勧めるまま、高額なお墓を建てたり、念仏をとなえてもらうお祓いを受けたり、水子の祟りを恐れて適切でない「供養」をなさっている方が沢山います。供養しているのに全然状況が変わらないとなげいている方も見かけます。

本来、水子は大人の霊と違って高価なお墓をありがたいと思ったり念仏をありがたいと思ったりしません。(言葉の通じない動物霊もそうです。)お金をかけて供養をする事は、水子のためではなく、供養をした事に安心し満足している生きている人間のための事です。

じゃあ、どうすれば水子は救われるの?どうして純粋な魂の水子が時には本人にとどまらず、その血縁の者たちにまで精神病などの影響を及ぼすの?という事を書いてみたいと思います。

水子の供養とは、その子の両親がずっとその子の事を忘れないという事です。「供養したからもう大丈夫!」と放っておかれてはいくらお金をかけたって水子は浮かばれません。あの子達は自分が親に忘れられてしまう事を寂しいと思います。忘れて欲しくないから時に生きている人間に障り、思い出してもらえるようサインを出します。もちろん、水子でもすぐに天にあがっていって浄化される子も多いので全ての水子が障りを起こしたり寂しいと訴えたりするわけではありませんからその辺を誤解して欲しくはないのですが...。

「祟り」とは、本来「戒め」とか「頼ってくる」という意味だと私は思っています。祟り祟りと怖がって、自分たちに影響が出ないよう形だけの供養をしても全然意味がありません。まあ、供養すらしないよりは幾分ましではありますが。

胎児はたとえこの世に生を受けられないであろう事がわかっていても、選んだ親を目指してやってきます。その親たちに何かを教えるために。

不仲の夫婦には流産をきっかけに夫婦が支え合い関係の修復を計る機会を与えようと上からやってくる事がありますし、堕胎されると知っていても命の尊さを教えようとしてやってくる事もあります。

そんな子供の心に応えることが本当の供養です。

水子地蔵をまつってあるお寺に子供の好む食べ物や飲み物(お菓子やジュース、牛乳など)を持っていって、自分の亡くなった胎児に名前を付け、その子の名前を呼びかけて「あちらの世界では貴方が守ってもらえますように」と祈ってあげることも供養ですし、お寺に行かないまでも自分でお菓子を買うときに胎児の分のお菓子も一つ買ってあげるとか、そういうふうに愛ある供養が大事です。親たちがその子を忘れなければ、水子が寂しくて祟る=頼りにしてくるという悲しい事は起きません。

それから、その子の存在は忘れてはなりませんが、その子を失った苦しみの方はどうぞ忘れてあげて下さい。水子は自分の親たちが不幸に毎日を過ごしている事を悲しみます。

「子供をおろすなんて私はダメ人間よ!」とか、「亡くなった子がもう一度私のお腹に帰ってきて欲しい!」とか思うことは水子を苦しめます。自分を卑下する割にはまた同じ事を繰り返して堕胎せざるを得ない状況を作ってしまう人もいて、これは「堕胎した子が教えようとしていた命の尊さ」は全く理解できていないわけで、これは形だけ供養しても堕胎された子は悲しみます。また、亡くなった子は同じ親の所に帰ってこれるとは限りませんし、別の親元に生まれ変わる予定の子もいますから、その子の生まれ変わりを親が邪魔してしまう事になりかねません。

悔やむ事を、亡くなった子に愛情を向ける事に置き換えて欲しいのです。名前を付けてあげ、「天国では神様にしっかり守ってもらえますよう。」「あの子が幸せになってくれますよう。」そんな思いの方を大事にして欲しいです。それが本当の意味での供養となりますので。堕胎の場合は、やむにやまれぬ病気などの事情で堕胎せざるを得ない方以外は再度同じ過ちを繰り返して命を粗末にしない事が「意味ある供養」でもあります。

特に幼子の霊は大人の霊と違って法事だとか念仏、祝詞などにはあまり関心がない事が多いのです。そういう儀式的な事をされるよりも、両親がずっとその子を愛おしい存在として心に残していく事、幸せに生きていく事が幼子の霊をなぐさめるには重要なのです。

形にとらわれず、心の伴う供養をして頂きたいです。水子が憑いているなどと霊能者に言われたり、家系に精神疾患が多く出ていて気になっている方は「霊が祟っている」ではなく、「頼りにされている。ちゃんと心を向けてあげなくては。」という思いで心のこもる自分たちなりの「供養」をなさって頂ければと思います。

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