頭脳王(6):天才と秀才

166121.jpg続きです。

前に書いたように、この番組では天才の大安売りでしたが、これは世間一般の風潮でもそうですね。

何でもかんでも天才と褒めたたえる。

そして、言葉のインフレが起こり、大天才とか、超天才なんて言い出します。

しかし、これでは天才と言う言葉が単に他の人たちよりも少しだけ優れた人間という意味になってしまうでしょう。

繰り返しになりますが、私は天才と秀才は違うと思っています。

単に早熟だったり、頭が良いだけの人間は秀才ではあっても、天才とは呼べません。

天才の持つ才能は本当に突出していないといけない。凡人が絶対に到達できないようなレベル。

たとえば、誰もが認める本物の天才と言うと、やはりダヴィンチやモーツァルト、アインシュタインといったところでしょうか。

パリに居た時に、何度かこの話をフランス人としたことがありますが、アルチュール・ランボーの名前をあげる人が多かったですね。

ランボーと言えば、スタローン演じるところの超人戦士を思い浮かべる人が多いかも知れません。日本ではそれほど知られていませんから。

しかしフランスでは今でも本当に人気がある詩人です。彼の鮮烈な生き方が人を惹きつけるのでしょう。

ランボーは15歳で詩作を始め、17歳で世に出た後、19歳で詩を捨てています。

当時の流行とはかけ離れたスタイルのために、認められなかったということもあるのかも知れませんが(彼の詩が認められ、「象徴派」の代表詩人といわれるのは、その死後のことです)。

そして、アフリカにわたり貿易商人になります。二度と詩作はしません。あまりにもいさぎよい人生だったと言えるでしょう。

勿論彼はその生き方だけで評価されているのではありません。やはり詩が愛されているのです。

素晴らしい詩が沢山ありますが(と言っても限られています)、母音に色を感じて作った詩などが有名ですね※。

※最近の研究ではこうした人を、共感覚を持っていると言うそうで、たとえば音階に色を感じる例もあるとのことです。

外国の詩を理解するのは大変ですが、興味をお持ちの方は一度読んでみてください。

さらにさらに続きます。