テロ、言論の自由、宗教(続き)
続きです。
権力者たちは表現の自由なんか自分たちの都合の良いように勝手にねじ曲げます。これは昔も今も変わりません。
もともと、表現の自由も場合によっては、ある程度制限されるべきだとの考えはあります。
この点については、ローマ法王は「言論の自由は権利であり、また義務でもあるが、他人を傷つけることなく表出されなければならない」と表明しています。
まさにその通りで、誰でも自分が大切にしているものを汚されれば怒るのが当たり前です。
そんなことは分かりきっているのに、表現の自由の名の下に、他人の信仰を侮辱する。
抗議のための何らかの暴力的行為が起きることも予想できたはずなんですが。過去にも例がありますからね。
考えが及ばなかったとすれば、思慮が浅いとしか言えません。
そして、シャルリー・エブド紙は今後も刊行を続けると発表しています。まあ、休刊するとは言えないのはわかりますが、そのためにまた犠牲者が出たらどうするんでしょう。
表現の自由とは、自分たちの生命のみならず、他人の命までかけて貫き通すべきものなのでしょうか。
しかも上に書いた通り対象はイスラム教で、本当にそこには差別的考えがないと断言できるのでしょうか。
大体、フランスのいわゆる風刺新聞は行き過ぎと思えることが多いんですね。
シャルリー・エブド紙と並ぶ過激さで有名なカナール・アンシェネ紙も少し前に2020年夏季五輪開催地に東京が選ばれたことと、東京電力福島第1原発での汚染水漏れを関連づけ、腕や脚が3本ある力士などを描いた風刺画を掲載しています(「フクシマのおかげでスモウがオリンピック競技に」)。
在仏日本大使館はこれに抗議しましたが、同紙は「謝罪するつもりない」と回答。まあ、当たり前と言うか、フランス人はまず謝りませんからね。
よく考えるとシャルリー・エブド紙に風刺漫画を載せた漫画家たちは、結局のところ、笑いを取ることが目的だったわけです。軽い気持ちと言うか。
それで今回みたいなことを引き起こした。
すでに書いたように今までにあったことを考えるとある程度予想できたはずなんですが。
漫画家の一人が記者会見で涙を流していましたが、遅すぎるでしょう。
ただ、欧州のいくつかの国の首脳が参加した大規模なデモにまで発展したことによって、彼らがやったことにお墨付きが与えられたことになります。
またやるんだろうなあ。
しかし、今回のデモは要するに狂信的イスラム教徒、特にイスラム国に対するもので、そのスローガンにするために、表現の自由を持ち出しただけなんですね。意図的に両方をごちゃ混ぜにしているような。
要するに世論操作が行われているわけで、多分、フランスはこれから何か大規模な軍事行動を取るんでしょう。それに大統領の支持率も上がりますからね(これがまた低い)。
ところでテロ行為と言えばイスラム教だと思っている人が多いようですが、実はキリスト教も負けていません。
すでに書いたビートルズに対する弾圧を見てもわかるようにキリストや聖母マリアが侮辱されたりしたら、もう大変です。
これはフランスであったことですが、私が住んでいたアパルトマンの向かいにあった映画館が、反キリストの映画を上映したといって怒り狂った信者に放火されました(その後この映画館は閉鎖)。
また、アメリカでは、キリスト教の狂信的信者の一部には、人工中絶に反対し、病院に脅迫状を送り、爆破し、さらには医師を誘拐までしています。
ただ、これらの事件の時は、警察の捜査もいいかげんだし、誰も自由への弾圧だなんて言わないんですね。まあ、当然と言えば当然で、アメリカやフランスでキリスト教徒を敵に回すことはできませんから。
今回のフランスでの抗議デモの話に戻りますが、フランス全土で約370万人が参加したそうです。これを見て感動したなんて言っている人もいました。
しかし、私は上に書いたように、世論操作を感じます。
これで、イスラム教過激派に対する戦いの士気は向上するでしょうが、同時にフランス国内においては、世論の右傾化(すでに極右の国民戦線が台頭し、支持率を伸ばしています)と、イスラム教徒や外国人移民に対する差別行為が激化するでしょう。
確かに、抗議デモには穏健派イスラム教徒や外国人移民たちも参加はしていたものの、そんなことは無視されますからね。
歴史が示す通り、権力者の意向によって、国民の意志が一つの方向に向うとろくなことがないと思いますが。
では。
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