続きです。
ところで、いじめの問題を考える時に、無視や悪口といったものとたかりや暴力を一緒に論じますが、これは間違っているのではないでしょうか。
たとえば、人は誰かを嫌いだという感情を抱くことがよくあります。
誰にでも優しくしろと言うのは建前であって、実際にはなかなかできません。
そして嫌いな相手に嫌がらせをするのは言ってみれば当たり前です。
しかし、こうしたいじめはある意味では対処が簡単だと思います。
これに対して、たかりや暴力は恐喝や傷害といった立派な犯罪行為であって、たとえそれが小学生や中学生でも厳しく罰しなければいけません。
人間の本性が善であると言っても、残念ながらすべての人がそうではないことも事実なのです。
つまり、いわゆる反社会的人間がいるわけです。
反社会的人間とは社会病質者とも言い、生まれつき良心の呵責が欠如していて、他人をいつくしむ心を持っていません(ただし彼らは異常ではあっても病気ではありません)。
そして、子供たちは非常に影響を受けやすいために、中心になる者がこうした反社会的人間であると簡単に悪い方に引っ張られてしまいます(勿論、子供の世界に限ったことではありませんが)。
この中心人物がいじめを指示するとまず逆らうことは不可能なのです。
最近言われている「いじめた方を登校停止措置にすべきである」との意見もこの点を考えているのでしょう。
しかし、登校停止程度の措置では意味がありません。
こうした人間は周りに影響を及ぼす力も強いために早いうちに見つけ出し、隔離、治療し、
特別の教育を施さなければいけません。
ただし、これは非常に微妙な問題で、別の差別を生み出す可能性がありますので、細心の注意が必要です。
当然ながら、普通の教師には無理ですから、各学校に専門家を配属しなければいけないでしょう。
勿論、一部の子供たちを隔離すれば問題がすべて解決するわけではありませんが。
では。
性善説 (3)
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