救世主の本当の意味

20160802080548-a9c85cd93ac8332747265de1236f7a4edda3d0f6.jpg昨日、自称救世主の女性のことを少し書きましたが、その時に考えたことがあります。

ほとんどの人は救世主と云うとイエス・キリストを思い出すでしょう。

しかし、聖書を読んだことのある人にはわかると思うのですが、イエス・キリストは個人的には大したことをしていません。

確かに、病人を治したり、更には死人を生き返らせていますし、水の上を歩いたこともあります。

しかし、こんなことはすべて規模がごく小さいことで、奇跡ではあっても、人類全体の救済にはほど遠いと言わざるを得ません。

要するに、イエスが救世主と呼ばれるのは、奇跡が起こせたからではないと云うことです(イエス・キリスト=救世主の考え方には異論もありますので、最後に説明します)。

今でもヒーリングをできる人は沢山いますし(本物も偽者もいるでしょうが)、奇跡を行うと主張する人はいます。

しかし、やはり彼らも大きなことはしていません。

世界を救うなんてとてもとても。

沢山の人々を救うと言うことであれば、私は人道的な事業に身を捧げた人の方がずっと尊いと思っています。

たとえばマザー・テレサや少し前だとシュバイツァー、勿論、私が知らないだけでもっと沢山の人がいるでしょう。

一人の人間がどれほどの能力を持とうとも、それで世界の人々を救えるなどと考えるのはまさに僭越です。

普通の人でも他人を助けたいと思う心を持てば、救世主に近づいたことになるのではないでしょうか。

霊的能力や奇跡の力など必要ありません。

自分にできることをすればいいだけです。

なんだか、柄にも泣く、随分説教臭くなってすみません。

※簡単に言えば、イエスは、イスラエルの民族宗教であるユダヤ教の改革運動を行い、この運動が後にパウロによってキリスト教として世界宗教に発展したことから救世主と呼ばれるようになっただけです。

元来、「イエス・キリスト」とは榮光ある「統一イスラエル」の成立と神権王国の再現を夢見たユダヤの人々が持っていた「イスラエルを救う聖なる王」という観念に重なる「香油を注がれ・聖化された者たるイエス」のことで、「救世者・救世主」を意味しません。

※一部の宗教の教祖などには世界を救うとの理念を持って活動している人もいるようですが、これにはかなり問題があるので、ここでは触れません。

では。