続きです。
さらに、彼は以下のように主張します。
「昔の日本人はいかに長くというよりも、潔い死を選択してきたのに、急激に、死を恐れ怖がるようにになってしまった。それは今の社会は死を看取れなくなったからではないか。
死は病院のベッドで周囲から隠されてひっそりおとずれるものになってしまった。
かつて学生の頃、ハワイで日系人の死に立ち会ったことがある。その村長は、周りに集うすべての人にそれぞれ言うべきことを言い終わって、静かに息を引き取った。
その光景を見たとき、正に目から鱗、どうしたらこのように死を迎えられるのかと思えた」
ううむ、そんな特別の事例だけを取り上げて、日本人全体に敷衍するのはどうでしょう。
そうではない例も多かったでしょう。
最近になって生にしがみつき、死を恐れる日本人が急増したとは思えません。
大体、「死が終わりではない。だから死を恐れる必要はない」との考え方には疑問があります。
私は死を恐れるべきだと思っています。
若い時は、漠然とした恐怖があっても実感はない。
そして、年と共に具体的な恐怖として感じられるようになる。
それでいいんですね。
生に見苦しいほど執着してどこが悪いのでしょう。
他人からどう見えようと関係ありません。
そうした執着から生まれるものもあるでしょう。
反対に、死を恐れない人間がとんでもないことをすることもあります。
この問題はなかなか面白いのですが、時間がないので、今回はこれで終わりにします。
では。
潔い死 !? (3)
Posted by comment(0)
|
コメント