歳のせいか、生死に関する本を結構読むのですが、最近、ちょっと気になる文章に出会いました。
あるアメリカ人哲学学者の意見です。
「死に方には2種類ある。
癌と戦い、苦しみながらも一分一秒でも延命して、それでも最後は癌に殺されてしまう死。
そして、自分は病を得て、いずれ死ぬ身である、だから人生の長さのみに執着せず、むしろ残りの人生に何ができるか考え、潔い死期を過ごすとの死に方。
多くの日本人らしい日本人は後者を選ぶはずだ」
ううむ。
彼はよくいる碌に日本のことを知らないくせに忍者かぶれの外国人とは違い、国立大学の教授を務めるような日本通なのですが、やはり私から見れば考え方がおかしい。
どのような根拠で、多くの日本人らしい日本人は潔い死を選ぶなんて決めつけることができるのでしょう。
今、日本の病院で延命治療を受けている人たちは、日本人らしくないのでしょうか。
「潔い」の反対は「見苦しい」だと思いますが、そうした人たちの死の迎え方は見苦しいのでしょうか。
そう思うのなら、一度、面と向かって言って上げればいい。
それはいいとして、彼は、侍の切腹を潔い死に方の理想的な形として称賛しています。
切腹は自殺の一種で、自殺はキリスト教では禁止されているはずですが、彼はキリスト教徒ではないのかな。
続きます。
では。
コメント