続きです。
人は結果論を考えるのが大好きです。
良い例が野球チームの監督の采配ですね(サッカーも似たようなものですが)。
野球ファンやジャーナリスト、元プロ野球選手の評論家たちは、シーズンを通して打線を頻繁に変える作戦を、試合に勝ったり優勝した時は名采配と称えます。
しかし、負けが込んだり優勝を逃すと迷采配と揶揄する。
チーム内でしかわからない選手の状態、モチベーション、相手投手への得手不得手、こういったあらゆる要素を考慮して監督なりに最善の戦略を考えた結果の采配のはずなのに、結果しか見ないわけです。
後知恵バイアスは、叱責や説教にもよく見られます。
後知恵バイアスを逃れているものなどほとんどないと言っても良いでしょう。
会社で部下が仕事で失敗した時に、上司は「そんな方法で仕事したら失敗するなんて誰だってわかるだろ」と叱りつけます。
失敗することがわかっていたのであれば、その前に止めればよかったのに。
もちろん、会社だけではなく、親子、先生と生徒、先輩と後輩等、何らかの上下関係があれば、上の者が後知恵によって不当に叱ったり、怒鳴りつけることは当たり前にあります。
こうした叱責は叱られる方の不満を増大させるだけではなく(鬱屈するだけに余計にやっかいです)、行き過ぎるとやる気をなくさせたり、可能性を潰してしまうことになります。
もちろん、反省は必要なのですが、失敗の原因が何であるのか、今後どう改善していくかを本人なりに考えさせなければいけないのです。
結果論で物事を考えるのが良くないと頭では思っている人は沢山いるでしょう。
しかし、わかっていても、後知恵バイアスによる結果論的思考を制御することは非常に難しい。
唯一の方法は、自分が後知恵で解釈や評価をしているのではないかと、意識的に自分の認知を判断してみることです。
そして、決定された時点での情報や条件の下で、実際に生じたのとは異なる結果が起こり得たかと考えられるかどうかを思案します。
そうすれば、後知恵で評価することは少なくなるでしょう。
では。
後からだったら何でも言える (3)
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