アリとキリギリス

20161012070240-36529796bfe999772e389d634774bd2925206e7b.jpgなんだか一気に寒くなりました。

秋風を感じるようになると聞こえてくるのが、虫の声ですね。

ところで、イソップ童話の「アリとキリギリス」の話はご存知だと思いますが、実は、この話は元々は「アリとセミ」なんです。

欧州にはセミがいない国もありますから、ピンとこないと思って翻訳の時に「キリギリス」に変えたんだそうです。

そう云えば、フランスでもタイトルは「La Cigale et la Fourmi」(詩人のラ・フォンテーヌの訳があります)ですから、セミですね。

パリなんかにはいないようですが、南仏ではセミの声をよく聞きます。

そして、日本に伝わった時も日本にはセミがいるのに、キリギリスのままだったわけです。

しかし、セミは確かに夏にはうるさいほど鳴きますが、キリギリスは夏に遊び回っているようなイメージはないんじゃないかな。

折角の寓意が弱くなっている。

それはそうと、イソップ童話には教訓がつきものですが、今はなんと教えているのでしょう。

真面目に働くことの大切さを強調するのはいいとして、困っている人を見捨てたことはどう説明するんでしょう。

自業自得だからほっとけばいいと教えるんでしょうか。

まあ、前にも書いたように最近は昔話や童話の結末を改変するのは当たり前みたいですから、ひょっとしたらアリは説教でもした後、キリギリスを家に入れてあげるか、そこまでしなくても、食べ物を分けてやり、キリギリスは改心するといった内容になっているかも知れませんね。

私なんかはキリギリス型の人生も悪くないような気がします。

キリギリスは天才型の享楽主義者で、太く短く生きるわけですから。

仕事に生きがいと言うか、達成感が得られるのならば良いですが、ただ営々と働いて報われずに死んでいくのはあまりぞっとしません。

ただ、私は胴周りは太いですが、もう太く短く生きると云うには年を取りすぎていますし、才能もないので、享楽的と云うよりも自堕落にしか生きられないでしょうが。

では。