日本の笑いと世界レベルの笑い(3)

20170312075137-edca0c7d52fd6bc84c0131b7e8ff0f9928ca86c4.jpg続きです。

ここまで書いてきて考えたのですが、アメリカの俳優がコメディアンや体制批判をするとなぜ世界レベルなんでしょう。

自分の国のことを取り上げただけではないですか。

他の国には関係がない。

この脳科学者もアメリカ崇拝者なんでしょうか。

国際的に受けるユーモアというものがあるとすれば、政治家や体制だけではなく、自国独特のものとは関係のない、どこの国の誰でもがわかるようなものでないといけないんじゃないかな。

少し話を変えると、何かの主張がバックボーンにない笑いは低級なのでしょうか。

大昔に似たようなことがありました。

筒井康隆さんという小説家がいます。

今では純文学の重鎮になりましたが、若い時はスラップスティック系(いわゆるドタバタですね)の小説で有名でした。

私も大好きで、一時はかなりはまりました。

その彼の小説をある批評家がおもしろいが、風刺がないから駄目だと決めつけたんですね。

これに対して筒井さんはかなり手厳しい反論をしています。

いつの時代にも、笑いを堅苦しく考え、枠にはめようとする人がいます。

脳科学者もその一人でしょう。

しかし、ユーモアは自由で、なんでもありです。

もちろん、体制批判、深遠な哲学、政治的主張等を含むものがあってもかまいませんが、そのほうが高級だと考えるとはおかしい。

まだ、続きます。

では。