昨日書いた第二芸術論は、簡単に言うと「俳句という形式は現代の人生を表しえない。『第二芸術』として他の芸術と区別すべき」との意見です。
著者は、まず作者名を伏せたうえで、大家の作品のなかに無名の作者のものを混ぜた15の俳句作品を並べ、作品からは素人と大家の優劣をつけることができないとします。
そして、大家の価値はその党派性によって決められるものであり、また現代の人生に俳句という形式には盛り込むことができないと主張します。
もちろん、多くの俳人たちから強い反論がありました。
著者の鑑賞力の低さや俳句に対してもともと態度が非好意的であるとするものです。
ただ、党派性の弊害については完全に否定することはできなかったようです。
確かに、新聞なんかの俳句選考を見ていても選者によって結果が全然違いますからね。
選者の好みやセンスが選考に占める比重が重すぎる。
テレビ番組に話を戻すと、参加者に級や段を与えています。
詩の才能をこのような形で評価するのはどうなのでしょう。
私には違和感があります。
これは明らかに家元制度を取り入れたものですが、日本の芸能で家元制度があるものは大体、袋小路に入っています。
未来がないということですね。
ついでに書いておくとこの番組で私が少し良いなと思ったのは漫才コンビフルーツポンチの村〇さんの俳句だけです。
彼は詩心があるように思います(私の好みによればですが)。
では。
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