日本の国語を英語にしよう!?(2)

20170405074028-2a0dc5f9768f3f35b84f403933bba4ce654b0171.jpg昨日の続きです。

標準語の普及には学校教育とラジオの全国放送が重要な役割を果たしたと言われています。

唱歌は役に立ったとは思いますが、学校教育のほんの一部でしかないでしょう。

それから、昨日書いた陸軍大将の大山巌と奥さんが相手の方言がわからなかったために英語で会話していたとの話に付け加えると、幕末の勤皇派の重鎮たちは、方言では意志の疎通ができなかったために、標準語の代わりに歌舞伎や能の言葉を使ったそうです(真偽は定かではありませんが)。

ところで、少し脇に逸れると、今まで「標準語」と書いてきましたが、現在ではこの言葉は正式には使われません。

標準語は、権力側が勝手に決めて、地方に強要したものとの印象があるからですね。

確かに標準語のために、方言が不当に貶められてきた面があると思います。

つまり差別を助長するわけです。

かなり前のことですが、ある航空会社の機内誌の対談記事に「朝から関西弁を聞かされて気分が悪い」といった発言が書かれていたことを覚えています。

今では関西弁はかなり受け入れられているようですが、一部の方言を笑う人は結構います。

標準語の弊害ですね。

そのために「標準語」ではなく「共通語」と言うようになりました。

そう言えば、私も生まれが関西なもので、何度かなまりを指摘されたことがあります。

別に気にはしなかったですが、通訳をする時に関西弁だとややだれるので、イントネーションはそのままで、言葉だけを変えるようにしました(なるべき短い言葉を使い、語尾を伸ばさない)。

もう少し続きます。

では。