よくある雑学系テレビ番組(どのチャンネルでもやっています)を見ていると、唱歌「春の小川」によって日本の国語の英語化計画が食い止められたといった話が紹介されていました。
どうでしょう、面白い題材ではあるのですが、残念ながら論理の進め方が強引でもう一つ納得できませんでしたね。
一応、書いておくと、この歌のモデルとなったのは、渋谷の地下を流れる渋谷川の支流「河骨川」で代々木八幡の駅の付近に碑が立っているのだそうです。
江戸時代、日本には300もの藩があり、それぞれ独自の方言を持っていました。
そして、明治になって廃藩置県により藩の垣根がなくなったものの、まだ標準語がなく、日本人同士でも会話が成立しなかった。
たとえば、陸軍大将から内大臣になった大山巌は薩摩弁を話し、奥さんの捨松は会津弁だったので、お互いの言葉が通じず、会話は英語で行われていたとのことです。
そんなんでどうして結婚したのかとの疑問が浮かびますが、それは置くとして、それならいっそのこと日本を英語で統一しようとの意見が出されたんですね。
これに対して、方言を無くし、標準語を広めるために作成された歌の一つが「春の小川」であると。
この歌にはサ行が多用されていますが、方言の多くは、「さしすせそ」と言えずに「しゃししゅしぇしょ」と言います。
要するにサ行が言えない人を「春の小川」が標準語に矯正し、日本の英語化計画を食い止めたというわけです。
ううむ、やはり、最後の結論のもってきかたが強引ですね。
「春の小川」だけで標準語が日本中に普及したというのは間違いでしょう。
長くなるので明日に続きます。
では。
コメント