俳句は日本語の基準なのか?

20170510073735-69631c93cf8cb709aa8c98a7c3154fa71ee6373f.jpgテレビのある番組で予備校講師の男性タレントが、街で「さわやかな5月の風だね」といったカップルの会話を聞いて、心の中でツッコンだと言っていました。

「さわやか」は秋の季語だから5月に使うな・・・

彼は授業でも自分の生徒に同じことを言うのだそうです(講演でも同じ話をするとのこと)。

ううむ、これはおかしいでしょう。

いつから俳句の季語が話し言葉の基準になったんでしょう。

日本人は会話する時に常に季語を意識しなければいけないんですか。

そんなわけありませんよね。

大体、春のさわやかな風なんて表現は世間にはあふれているし、文学作品には使われています。

それがすべて間違いだとでも言うのでしょうか。

俳句なんて一部の人たちが趣味でやっていることで、その限られた中でルールを作っているだけです。

そのルールの一つが季語ですが、この季語にも実は確固とした根拠があるわけではないんですね。

前にも書きましたが、季語は、大正から昭和にかけて、多くの俳人が食えなくて困窮しているのを見かねて、角川書店の創業者、角川源蔵が「俳句歳時記」を出版し、その売り上げで多くの俳人を援助する一方で、俳句には季語が必要だ、という勝手なルールをでっちあげ、自社の「俳句歳時記」を買って読まなければ、俳句ではない、という世論を作ったのがきっかけで一般化しただけです。

心の中で他人の会話に文句を言うのは、その人の勝手ですからまあいいでしょうが、これを他人に押しつけるというのはどう考えても行き過ぎでしょう。

厳しいことを言うようですが、浅薄な知識のひけらかしですね。

では。