標準語とら抜き言葉(続き)

20170524075753-2fe160d935e119e58945e81ea4c780e81b61a292.jpg昨日の続きです。

今日は「らぬき言葉」についてです。

まあ、アナウンサーでなくても、これに拒否反応を示す人は多いでしょう。

かく言う私もその一人で、私自身は使いません。

歳も歳ですからね。

しかし、いろいろ調べて見ると必ずしも「らぬき言葉」を使用しないほうがいいとは言いきれないようです。

もちろん、「文法的に誤っている」との指摘は間違いではありません。

しかし、次のような反論も見られます。

助動詞「られる」には、受け身、自発、尊敬、可能の4 つの意味があります。

だから、「見られる」とか「食べられる」という言葉を聞いたり読んだりしたときは、 その 4 つの中のどの意味になるのかを文脈から判断しなければいけないわけですが、しかし、これは聞き手・読み手にとって負担になるし、 また、文脈から判断つかない恐れもあります。

たとえば、「先生はその料理を全部は食べられなかった」は尊敬でしょうか、可能でしょうか。

これに対して、「ら抜き言葉」は、可能の意味にしか使いませんから、意味は明確です。

そして、将来、可能の意味がもっぱら「ら抜き言葉」で表現されるようになれば、「られる」から可能の意味がなくなっていくでしょう。

これは言葉の進歩なんですね。

否定する理由はありません。

ついでに書いておくと、「ら抜き言葉」が歴史的に使われている地方もあるそうです。

ですから、「ら抜き言葉」を間違いと決めつけて、子供に使用を禁じるのはあきらかにおかしいでしょう。

では。