「呪」について(続き)

20170530063811-38e36d015fbf3c9fb7820a62eab8c9e86e181479.jpg昨日の続きです。

しかし、この踏切事故ですが、実際に事故は起きたにしても、あとはそれに尾ひれがついただけなんですね。

つまり調べて見るとボォーと光るだの犬が吠える、女の人が立っているなんてことはまったくの出鱈目なんです。

それでも、種明かしを聞かなければ呪は成立します。

この話を聞いた人は、その後、心安らかにはこの踏み切りをわたることができなくなるわけです。

人間には常に潜在意識の下で「日常」と「非日常」の葛藤があります。

言ってみれば、「呪」をかけるとは頭に非日常の情報をインプットすることです。

つまり、人間の体には外部から侵入してくる「非自己」から自分を守るための「自己」があるんですね。

これが免疫系です。

われわれは常に外部からの敵である「非自己」と日々戦って生きています。

他人の言葉は「非自己」です。

それを「自己」が同化するなり、消化するなり有効利用すれば何の問題もありません。

しかし、相手の言葉が自分の許容範囲を超えていたり、「自己」を上手く騙して増殖したりすると脳はバーストするか、単純な一方向にしか物事を考えられなくなってしまいます。

そのバーストしたり縛りつけたりするような言葉をわざと人に投げつけること、それが「呪」なんです。

これはビジネスでもよく見られるテクニックですし、宗教団体なんかも上手く利用しています。

思いがけない、隙を突くような言葉(人をノーガードにするような)には注意したほうがいいでしょう。

では。