調査と責任

20170805075418-0577ee4add075db886e288418c279bf87dbb8d7e.jpgかなり前のことですが、こんな記事をネットで見ました。

「イタリア中部ラクイラで2009年に300人以上の死者を出した地震の発生を事前に警告できなかったとして、過失致死罪に問われた地震学者ら7人が有罪となったことに対し、国内外の科学界が強く反発している」(出典:CNN)

これに対して、同国政府の諮問機関、大規模災害リスク予知・予防委員会のマイアニ委員長が辞任すると共に、この判決が出たことで委員会は明確かつ有効な機能を果たすことができなくなったと抗議するコメントを出しています。

この問題は日本でも話題になり、主に学者側から批判されています。

まあ、学者さんたちの気持ちもわからなくはないですが、彼らを言いたい放題にするのもどうかと思います。

よく問題が指摘される原子力発電所敷地の活断層の調査にしても、建設前に徹底的にやったはずなんですが、今になって日本の原発のほとんどは活断層の上に建っているなんて恐ろしいことが発表されています。

つまり当時の学者たちは何らかの理由があって、はっきり言うと政府や関連企業の圧力によって、意見を曲げていたということなんでしょう。

これに似たようなことは沢山あります。

たとえば、全国の地方空港の大多数は赤字になっていますが(58空港のうち53空港)、これらの空港も少なくとも建設計画が立てられた当時は黒字になると予想されていたはずなんです(そうでなければ建設が許可されない)。

調査を実施した会社は、発注元の自治体の言いなりなったと言うか、圧力がかかって、調査結果をねじ曲げたということでしょう。

当然ながら、開港後は赤字になってもこの間違った予想の責任を誰も取ろうとはしません。

結局、どんな調査でも結果は、権力の思うままにねじ曲げられるということです。

学者も調査会社も資金を提供してくれる政府機関や自治体の意向に逆らうことなんかできないわけですね。

どうせ責任を取らなくても良いわけですから。

こういったことがないようにしたいのなら、調査に基づく予想が間違いで、結果として多額の損失が発生した場合には、プロジェクト推進機関はもちろんのこと、調査機関や研究を行った学者たちに責任を取らせるしかないでしょう。

その意味では最初に書いたイタリアの措置は間違っていなかったと思います。

では。