いつも思うのですが、日本語はいつの時代もずっと乱れっぱなしのようです。
それならとっくの昔に日本語なんか影も形もなくなり、消え失せているはずですが、そうはなっていません。
まあ、高齢者が最近の若い奴らの言葉使いはなっとらんと批難するのは習性のようなものですから気にしなくてもいいのかも知れませんが。
ところでこの日本語の乱れの代表として、特にやり玉に上げられるのが「ら抜き言葉」でしょう。
かなり浸透しているようでも、一定の年齢以上の人は頑なに拒否しますし、アウナンサーなんかでも絶対に使いませんなんてイキがって宣言したりします。
しかし、この「ら抜き言葉」について、非常におもしろい研究結果が発表されているんですね(二松学舎大学島田泰子教授の研究)。
テレビでも取り上げられましたからご存じの方も多いと思いますが、簡単に紹介したいと思います。
まず、「ら抜き言葉」はその名のとおり、可能の助動詞「られる」の「ら」が抜けたと取られるのが一般的でしょう。
ところが、抜けているのは「ら」ではなく「ar」だ、とする見方も成り立つのだそうです。
「見られる→見れる」「食べられる→食べれる」の変化をローマ字で書くと、
「mirareru→mireru」「taberareru→tabereru」
となります。
こう書いたときに、途中にある「ar」が抜けていると見ることもできます。
この「ar」抜き現象、「ら抜き言葉」に限らず、可能表現全般に起こっているというわけでです。
長くなるので明日に続きます。
では。
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